齋藤希史『漢文脈と近代日本』(1)

漢文という文体は、その内容とは別に、十分に操作的であり、技術的なものであって、東アジア全域に広まったのはそのおかげだとも言えます。これは漢字の特質ともかかわることです。そうであるからこそ、古くは仏典が、近代に至っては西洋科学やキリスト教の書物が漢文で翻訳された、書記言語としての漢文が、あるいはそれを支える漢字がいかに応用力をもつものであるか、具体例はこの本の中でも示されるはずですが、おおざっぱに言っても、たとえば大量の新漢語が翻訳によって生み出されたことなどは、有用な道具もしくは資源としての漢文がすぐれている証拠になるでしょう。そこではいわゆる文化の翻訳、つまり世界観の転換作業がしばしば行われました。さらに、翻訳の向こう側にある新しい世界観とこちら側の世界観との齟齬が意識され、それにともなって漢文の文体も変容し、翻訳を通じて、古典世界から近代世界への転換が行われたのでした。(p20)