アガンベン.G『アウシュビッツの残りのもの』(6)

いいかえれば、人間は、つねに人間的なもののこちら側か向こう側のどちらかにいる。人間とは中心にある閾であり、その閾を人間的なものの流れと非人間的なものの流れ、主体化の流れと脱主体化の流れ、生物学的な生を生きている存在が言葉を話す存在になる流れと言葉(ロゴス)が生物学的な生を生きている存在になる流れがたえず通過する。これらの流れは、外延を同じくするが、一致することはない。そして、両者の不一致、両者を分割するこのうえなく細い分水嶺こそが、証言の場所にほかならない。(p184