テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(3)

朝鮮の人たちは知る由もなかったが、天皇裕仁が敗戦を告げる放送をした五日前、はるかワシントンで、この人たちの国の戦後の命運について決定が下されていた。ソビエト連邦は、ナチス・ドイツとの死闘に全力を傾注して、太平洋戦争が始まって以来、日本との中立条約を守っていた。ところが、ヒトラーが敗れたこともあって、広島に原爆が落とされた二日後に、この条約を破棄した。大陸における日本帝国版図の北部にソ連軍がなだれこんだ。そして、アメリカ軍が朝鮮半島南部に到達する前に、ソ連軍はすでに北辺を越えて半島に侵攻していた。アメリカ政府はこの展開にいたく驚き、朝鮮半島全体をソ連にのっとられることだけはどうあっても防がなければならないと決意した。一九四五年八月十日の夜、軍と政府の高官がワシントンに集まって、そのための戦略をたてようとしていた。……真夜中をまわったころ、ディーン・ラスクとチャールズ・H・ボンスティールというふたりの若い将校に朝鮮の地図が手渡された。そして、別室にさがって、ソ連領と合衆国領を分ける適切な線を引くように、と命じられた。ラスクとボンスティールとしては、現行の行政区分線をなぞるかたちで分割線を引きたいと考えた。そうすれば政治的混乱を最低限に抑えられるだろう。しかしその任務遂行に与えられた時間は三十分だけで、地図は縮尺率の小さい壁掛け用の極東地図だった。北緯三十八度の緯度線が朝鮮をきれいに二分していて、おまけに首都ソウルは南(すなわち合衆国)域に入る、と指摘したのはボンスティールだった。こうして三十八度線が分割線として提案され、(アメリカ政府にとって思いがけないことに)ソビエト連邦も即座に即座にそれを受け容れた。(p56-p57)