日本思想史学会2013年度大会シンポジウム@仙台

先日、学会報告のことはブログで書いたのですが、

一日目のシンポジウムのことについては、触れていなかったので、この場を借りて思ったことを書こうかと思います。

一ヶ月間ぐらい、心身の不調が続き、最悪のコンディションで参加しました。

学会報告は撃沈したのは、先日書いた通りです。

実は今回の学会の連絡が大会事務局から連絡がきた時に、シンポジウムのテーマである「越境する日本思想史―思想と文学の垣根越えー」というテーマだったので、その時点で自分が報告することは、もう決まっていたというか。

シンポジウムの感想ですが、中野三敏先生は、しきりに「江戸時代の思想は陽明学中心だった」ということを言っていたのですが、それに関しては、コメンテーターの高橋文博先生が補足的に述べていたと思うのですが、「朱子学陽明学という立場がもともと本源的にあるわけではなく、歴史的な思想的状況・社会的状況の文脈から作りあげられたものではなかったか」という応答をしたことに、僕自身は気付かされることが多く勉強になりました。実は中野先生の論文は予習として拝読したのですが、違和感が残るもので、高橋先生のコメントがその違和感を代弁してくれました。

田中康二先生の報告は、僕にとっても近しい分野をやっているので、和歌という題材から読み解く方法は、大変勉強になりました。また、報告後に様々なご助言をいただきました。実作の和歌や漢詩から思想性を読み解くことは、僕には出来ませんが、歌学は実作あってこそのものですから、そのあたりのことも念頭に入れながら、和歌や詩文の問題を考えるような癖を身に着けておく必要があることを痛感しました。

ツベタナ・クリステワさんの報告ですが、和歌の世界から思想性を読み出すということを試みていまして、自分なりには疑問もありましたが、司会を務めていただいた、中野目徹先生や、大野出先生が円滑に噛み砕いて下さった場面もあり、それが自分としては理解の一助になりました。

苅部直先生は、戦後思想と文学との関わりから、主に伊藤整を題材にしたものでしたが、理路整然としている印象はあったのですが、議論の抽象度が高すぎたものでした。ただ、コメントの中で、伊藤整の出自として、北海道の小樽のことに苅部先生が言及した場面があり、「内部植民地」としての北海道というトポスと、北海道人のどこか人工的で冷たく乾いた心性というのは、僕自身も思う節があり、そのあたりは考えさせられました。

雑駁な文章でしかありませんが、日本思想史学会のシンポジウムの参加記として記す次第です。