一戸渉『上田秋成の時代ー上方和学研究』

上田秋成の時代―上方和学研究

上田秋成の時代―上方和学研究

 神代一巻。以て尊重せずんばあらず。その言たるや、遼濶、奥オウ(※幽+頁のつくりの字)にして、究めずしても可なり。人、その的確を求めんと欲するは、無識と謂うべし[]

 

ここに引用した雨森芳洲1668-1755)の一節は、上田秋成17341809)が著したテクストの中で、頻繁に引用されており、秋成が大変好んだ言葉のひとつであった。また、江戸文学の研究史では、日野龍夫氏が秋成の思想的態度について、〈文献ニヒリズム〉という概念を用いて論じたことは周知の通りであろう。日野氏によれば、秋成は、当時の江戸社会に現存していた〈古〉の書物に対して、好古趣味から来る〈憧憬〉の感情を抱きながらも、同時に〈懐疑〉の視線で捉えていたと、日野氏は指摘している。それ故に、日野氏は、秋成自身の〈文献ニヒリズム〉という思想的根底を生涯自ら覆せず、〈古に確信を持てない人〉という秋成の姿を描写した[]

 

私が本書のために、秋成のテクストを久しぶりに脇に置きながら読んだとき、頭を打たれたのは、秋成が語る言葉ではなく、むしろ先に引用した芳洲の言葉であった。『日本書紀』神代巻のような、古代に作られた文献は極めて深奥な世界であり、その記述が確かなものかどうか、あれこれと詮索したがる人は、実に無知な人である、と芳洲は語る。有名な『呵刈葭』論争でも、この芳洲の言葉を秋成は引用している。しかしながら、この芳洲の言葉は、単に宣長批判という文脈だけでは捉えられない、秋成自身の〈古〉をめぐる思考の襞を解き明かしてくれるヒントにもなり得るのではないか。

 

本書は、秋成だけではなく、その〈周縁〉にいた、従来では日の当たらなかった人物たちにも焦点を当て、秋成を取り巻いていた時代的な状況をめぐって、〈上方和学〉という世界として捉え、先に言及した秋成における〈古〉をめぐる視線が、いかなる〈磁場〉の中で形成されたのか、ということを明らかにした意欲作である。次節以降では、本書の内容を紹介し、本書の意義について私なりに考察してみたい。

  

本書の構成は、次のようになっている。ただ、詳細な目次は省略し、章立てだけの紹介に留めることをあらかじめお断りしておきたい。

 

序論

第一部 上方和学史への試み

 第一章 礪波今道と上方の和学者たち

 第二章 上方の真淵門

 第三章 荷田春満と荷田信郷

第二部 上田秋成の和学

  第一章 『土佐日記解』の成立

  第二章 秋成の校訂―『土佐日記解』自筆本三種を中心に―

  第三章 秋成と『土佐日記

  第四章 秋成と好古―天明・寛政期を中心に―

 第三部 上方和学者研究

  第一章 荷田信郷の雅交

  第二章 池永泰良と大坂書林―『万葉集見安補正』の変遷

  第三章 秋成門下越智魚臣とその周辺

  第四章 橋本経亮の蒐集活動

  第五章 礪波今道年譜稿

資料編

 『香果遺珍目録』翻印と影印

 結論

 

まず序論では、本書の副題でも示しているように、従来の研究史上の議論を参照にしながら、近代日本における国民国家形成期以降に多く用いられてきた〈国学〉という概念では、近世期の雑多な知的営為を把握しきれないことを批判的に捉えている。このような問題認識に依拠しながら、当該期において一般的であった〈和学〉という用語を本書で採用した意図について、「日本の古き文物をめぐる学的交流と、それらに基づいて行われた歌文の創作などの実践一般を指す、極めて緩やかな概念」(p9)と定義したうえで、〈和学〉という概念を用いることで、より歴史的状況に即した分析が行い得ることを言及している。とりわけ江戸文学研究の文脈では、十八世紀日本において着目されるべき時代的潮流として、〈江戸〉から〈上方〉へ、そして〈上方〉から〈江戸〉へ、という地域文化の〈融和現象〉と並行しながら、〈雅〉と〈俗〉という身分的文化も越境していく〈融和現象〉も同時に進行していたことが指摘されている。しかしながら、従来における研究蓄積は、このような当該期の文化的融和という問題については、専ら〈江戸〉の地域に偏重したものであった。本書は、このような従来の研究史を見据えながら、〈上方和学〉という世界の重要性を強調している。〈上方和学〉の世界でも、上田秋成は、いまも突出した存在であり続けている。しかしながら、上田秋成を含めた〈上方和学〉の世界とは、そもそも多様な身分・職業を生業にしていた人々に支えられた知的営為の総体であり、本書はこのような〈上方和学〉の世界について、多角的な分析に基づきながら、その解明を試みている。

 

第一部は、〈上方和学〉における真淵学受容とその展開を主題としている。まず、礪波今道(1722-1805)という、これまで未詳部分が多かった和学者を取り上げ、加藤宇万伎門下サークルの動向を探っている。これまで、秋成が加藤宇万伎門下であったにもかかわらず、具体的な加藤宇万伎門下サークルの実態は明らかではなかった。また、秋成を含めた加藤宇万伎門下サークルが、総じて宣長の思想に対して関心を抱いていたことを論じており、この意味において、秋成をめぐる思想的形成を見直す論点を提示している(第一章)。その上で、上方における宇万伎門下サークルの形成過程を分析し、宇万伎門下サークルには、秋成だけでなく、龍草廬や荷田信郷という担い手がいたことや、大坂書林における真淵書出版活動の観点から、上方の真淵学受容について考察を加え(第二章)、さらに、荷田信郷によって行われた、荷田春満の顕彰運動の意図を俎上に置くことで、その顕彰活動が、同時代における契沖評価の高揚との相克関係から生み出されたことを論じている(第三章)。

 

第二部では、秋成における〈和学〉をめぐる世界を考察している。その素材として、主に秋成の『土佐日記』注釈に着目しながら、秋成の和文創作をめぐる問題について分析を加えている(第一・二・三章)。続けて、秋成における〈文献ニヒリズム〉の形成過程について論じている。先行研究では着目されなかった『呵刈葭』論争前後の時期に書かれた諸テクストを読み解きながら、秋成における〈文献ニヒリズム〉という思想的態度に対して、深く影を落としている天明大火・寛政改元という時代的背景とも絡めながら、同時代に出現した有職故実への関心の高まりと、好古趣味の流行という時代的要請から形成されたことを明らかにしている。この論点は、『呵刈葭』論争だけで秋成について論じる傾向がある江戸思想史研究では、看過されてきた部分であり、今後の思想史研究でも議論の深化が待たれる課題を提示している(第四章)。

 

第三部では、秋成と深く交流を持った和学者たちに焦点を当てながら、その文事活動の詳細を明らかにしている。その登場人物は、荷田信郷(第一章)・池永泰良(第二章)・越智魚臣(第三章)・橋本経亮(第四章)、そして第一部にも登場した礪波今道(第五章)という、伝記的にも未詳部分の多い和学者たちの来歴について、未見史料に基づきながら、明らかにしている。そして資料編として、礪波今道の古書・古物コレクション目録である『香果遺珍目録』の翻印と影印を収めることで、第三部の論点を補い、最後に本書の結論を述べている。

本書の内容を踏まえながら、私なりの考察を述べてみたい。本書は、上田秋成というスター的存在を取り上げている。しかしながら、秋成という存在もまた、十八世紀後半から十世紀初頭にかけての〈上方和学〉の申し子であり、その意味で同時代的な視座から見直すべき思想家であると語る、本書における力強いメッセージは、総じて一貫性があり、従来の秋成観を再考する契機を作った研究と言っても差し支えはない。

 

とりわけ、最近の江戸文学史研究の分野では、〈和本リテラシー〉や、〈江戸思想史との架橋〉という課題が、議論の俎上にあげられることが多くなっている[]。このことを踏まえるならば、江戸思想史研究者においても、江戸文学史研究者たちによる応答は、決して無視することができない議論を含意していると私は考えている。それはまた、双方の研究分野が、新たな段階に差し掛かっていることを示しているとも言えよう。その意味でも、本書の研究は、江戸思想史研究を生業としている私のような人間にとっても、先に挙げたような課題について、江戸思想史の側から再考すべきヒントを与えてくれており、また本書が提示した論点に関して、積極的に受け止めたいと考えている。

 

ただし、江戸文学研究者が抱いている誤解をひとつ解くならば、江戸思想史研究においても、未見史料を扱うことはそれほど珍しいことではない。しかしながら、未だに個別の思想家たちの研究は、後代の研究者たちによって編集された「全集」本の世界に依拠しているのも事実である。つまりそのことは、彼らが作り出した思想的世界の微妙な〈揺れ動き〉さえも、読み間違ってしまう可能性があることを示唆している。このことを本書に引き付けて考えるならば、江戸思想史研究における秋成観とは、つまるところ、〈宣長の批判者〉という位置付けでしかなかった。その意味において、これまでの江戸思想史研究は、本書が提示しているような、秋成が抱いていた〈古〉をめぐる視線の細かい〈揺れ動き〉について、見過ごしてきたのではないか。その意味で考えるならば、江戸思想史においても、江戸文学史が自家籠中的に扱うような、書物の流通や、諸本における本文異同から、その思想過程を考える作業の重要性は、やはり再考すべき課題であろう。本書が提示した細かい論点の指摘などは、秋成研究者ではない、私のような者が、もとより検討できる作業ではない。そのため、本稿では、最近の研究動向を踏まえたうえで、いかにすれば、江戸思想史研究と江戸文学史研究の双方の分野が、新たな活性化できるような展望について再考できるのか、という見通しから本書の紹介を試みた。本書が双方の研究者たちに広く読まれることを願ってやまない。

 


[]雨森芳洲「橘窓茶話」下巻、『日本随筆大成』第二期七巻所収、吉川弘文館1973年。p417。原漢文。読み下しは筆者の責任で行った。

[]日野龍夫「秋成と復古」、『日野龍夫著作集』第二巻所収、ぺりかん社2005年。

[]中野三敏『和本のすすめ―江戸を読み解くために』、岩波新書2011年。井上泰至・田中康二編『江戸の文学史と思想史』、ぺりかん社2011年。