大谷栄一『近代仏教という視座』

近代仏教という視座―戦争・アジア・社会主義

近代仏教という視座―戦争・アジア・社会主義

ビリーフ重視の「仏教」観は、もちろん、研究者だけの問題ではない。「狭義の近代仏教」の当事者である清沢満之や境野黄洋たちの間でも、ビリーフ重視の「宗教」観にねざした「仏教」観が明白であり、それが精神主義運動や新仏教運動のメンバーたちにも共有されていた。そして、精神主義や新仏教運動を論じる吉田や柏原、池田らの研究者たちが前提としていたのも、ビリーフ重視の「仏教」概念、つまり、「狭義の近代仏教」概念である。つまり、「狭義の近代仏教」を担った当事者たちと、それを研究してきた研究者たちが前提としていた「仏教」観は、ビリーフ重視的な「仏教」観であり、それは近代になって新たに創りだされたものである。そうした「仏教」概念にもとづく、戦前のさまざまな思想や運動が戦後に(狭義の)「近代仏教」とカテゴライズされ、「日本近代仏教史」の中で中心的に研究され、この分野を作り上げてきたのである。(p29-p30)