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ケテラー.ジェームス.E『邪教/殉教の明治』(5)

近代日本仏教

 明治時代のイデオローグたちが企てたことは、公共意識、現代風にいえば「常識」を創出することであり、それは断固たる歴史的必然性として方向づけられたり、あるいは方向を修正できるものであった。明治という革命的な危機情況の最中に過去から呼び覚まされた亡霊は、実際には古えを再生産することも模倣することもなかった。亡霊たちは、当時の現在を美化することに役立ったのであり、その意図を伝統という鎧と長らく眠っていた鬨の声の中に隠し立てていたのである。……特筆すべき重要なことは、「真実の歴史」にアプローチする上で克服しなければならない当面の「陋習」の一部として、仏教が拒絶されていたと同時に、その過去を「再興」しようとする当の取り組みのための戦略として、仏教が勘定に入れられていたことである。国史を発掘する公共的な取り組みに参入する一方、仏教はまた、自分たちに固有の歴史を創出しはじめていた。つまり、仏教教団自体が必要とし、自分たち特有の過去や言語によってつくられた歴史である。そうした様々な奮闘は、次の言葉と重なるものと言うことができよう。「人間は自分自身の歴史を創るが、しかし、自発的に、自分で選んだ状況の下で歴史を創るのではない」。(p134-p135)