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ケテラー.ジェームス.E『邪教/殉教の明治』(2)

明治期仏教の研究者たちの間では、つまらない一律的解釈が行われている。それに対する失望が生じるのは、既存の研究には厳密さが欠けているからではない。……このような一律的な解釈の収まりの悪さが瞭然となるのは、こうした歴史家たち(とくに二〇世紀初頭の歴史家たち)が引き出した道徳的結論においてである。歴史家たちの分析は、制度や教義にかかわる様々な声明をすべて統合し、中心的な宗教的権威が定期的に公布してきた法によって成文化された、観念的な仏教概念に基づいていた。そのため、特定の「仏教徒たち」がその時代の法的・精神的基準に即した現実的な対処に失敗した、という考えを信じこんでしまった学者が多かったのである。つまり、 二〇世紀初頭のある著名な学者の言葉を借りるなら、「堕落」こそが日本仏教史、とくに徳川後期から明治初頭にかけての仏教史にとっての支配的なテーマとなってしまったのである。……「仏教」にとって可能であったことは、「破滅」に身を委ねるか、あるいはそこからの再生を企てることだけであった。こうした図式に基づく一九世紀中期の仏教の分析は、図式における分析自体が持っていた性質を肥大化させ、そこから引き出されるのが当然である結論に至ってしまった。(p29-p30)