ケテラー.ジェームス.E『邪教/殉教の明治』(1)

邪教/殉教の明治―廃仏毀釈と近代仏教

邪教/殉教の明治―廃仏毀釈と近代仏教

Of Heretics and Martyrs in Meiji Japan: Buddhism and Its Persecution

Of Heretics and Martyrs in Meiji Japan: Buddhism and Its Persecution

明治政府の編成は、国粋主義的で歴史法則主義的な「王政復古」という表看板に、「富国強兵」という政治的な経済再編が結びついていた。明治政府の編成はとりわけ、特定の思想形態と行動様式の可能性そのものと深い共犯関係にあったのである。たとえば仏教は、神道家・啓蒙思想家・国粋主義者勤王家・経世家・儒家、さらには新しく登場してきた科学者・歴史家(こうした各集団に独自のアイデンティティがあったわけではないことはあきらかである)から集中砲火を浴びた。こうした集団が「文明開化」の正当な解釈をめぐって争う中で、仏教は厳しい攻撃にさらされ、地域によっては殲滅されてしまう危機に直面したのである。私が主張する仏教の成功とは、仏教が具体的な迫害やイデオロギー的な攻撃を切り抜けたことを指すだけではない。仏教はまた、異端ではない存在として自らを再構成するという、さらに困難な課題もやり遂げたのである。そして、この成功はたいへん巧妙かつ細部にまで徹底していたので、明治期の仏教に対する迫害の事実を日本史年表から追放したとしか言いようのない状態にしてしまったのである。明治の仏教者たちは、仏教を異端ではなく、殉教として再表象することに成功したばかりではない。「真の日本文化」の砦と見なされるようになった「新仏教」を創出することにも成功したのである。(p14-p15)