「言説」か、「事実」か、「連続」か、「断絶」か・・・

読書会の予習。

竜温のテクストを読んでいる限りでは、「僧風が乱れている」ということに関しては、「事実」として受け止めざるを得なかったと思うのですが、

前の時代を全否定するためには、堕落しているという「言説」として組み換えていかざるを得なくて、旧帝国大学における仏教学アカデミズムの主導者は、ほとんど浄土真宗関係者が多くて、近世を否定するために、親鸞の存在が出てきたとも読み取れるので、難しい課題に直面しています。