竜温さんからみれば、僕は「心無き人」です

今日も読書会の準備で、引き続き、訳文の検討をしていました。ノートでの下書きは、何とか終わらせました。

以前の読書会で出てきたところで、竜温さんは、「仏教を信じない人は、総じて心無い人である。」(大意)

ということを言っていまして、色んな意味で「心無き人」が、竜温さんの文章を訳しているわけですが、幕末期の東本願寺教団の宗学の立場としては、おそらく一貫した論理があるはずなんだけど、どうやって、竜温を通して考えるか、ということで悩んでいます。

明治初期の竜温のテクストを見ると、あれほど、「公儀が公儀が」と言っていたのとは豹変して、「御一新したんだからいいんです!!王法には従うべきなんです!!それでいいんです!!くゥ~!!」(川平慈英風に)ということを竜温は言っていますから、

幕末護法思想を考えるときには、近世と近代との「断絶」がすぐさま成立するわけではなく、「ああもう、やってらんねぇ。大事なのは、親鸞聖人の歎異抄だよ。歎異抄。」と、ある意味グレた煩悶青年的学僧であった清沢満之までに至る過程を、「近世における教団内部の古い慣わしを未だに引きずっていた教学を清沢は精神主義を唱えることで打破しようとした」という説明で片付けられてきて、ようやくその見方自体を見直そうという研究動向が現れてきた段階ですが、そのためには、傍証の材料として言及されがちな人物であった、竜温に関する基礎的な研究が必要なのかな、と思っています。

それと論点としては、幕末期において、護法運動に熱心だったのは、やっぱり浄土真宗だけが突出しております。そう考えると、辻善之助による、「近世仏教堕落論」への批判として、主に浄土真宗の仏教史研究者から提示された、「浄土真宗=特殊論」は、江戸時代における浄土真宗の歴史についても「近世期の仏教を単に堕落として総括するのではなく、そのなかでも堕落せずに抵抗の論理を引き出した唯一の仏教教団」と評価するわけですが、それを主に主張した研究者たちも護法思想に関しては「残念ながら幕末期は国家に擦り寄ってしまった」という一言で一蹴してしまい、その意味ではちゃんと精査されているわけではありません。そして、ではなぜ、他の仏教教団は、護法運動を必要としなかったのか?という疑問も残ります。

現在の歴史学の分野では、「浄土真宗=特殊論批判」という文脈で、もう一度、歴史的条件に引き付けながら見直しを行っている、澤博勝さんや引野亨輔さんの研究があります。

しかし、そういう動向も加味しながら、竜温をどう考えたらいいのか、という疑問も燻ったままでして、レジュメのオチは、総じて「リンダ、困っちゃう」(古ッ)と訳文を考えながら、思った次第です。あえて、細かいことを図式化して論じた部分はありますが、単なる雑感なので、ご寛恕ください。

日本仏教史〈第10巻〉近世編 (1961年)

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歴史のなかの親鸞

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日本近世の思想と仏教

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近世真宗と地域社会

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近世宗教社会論

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近世宗教世界における普遍と特殊―真宗信仰を素材として (日本仏教史研究叢書)

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