山上憶良頓首謹みて上る

天地は 広しといへど 吾が為は 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみや然る わくらばに 人とはあるを 人竝に 吾を作れるを 綿も無き 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち懸け 伏いほの 曲いほの内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へ吟ひ かまどには 火気ふき立てず こしきには 蜘蛛の巣かきて 飯炊く事も忘れて ぬえ鳥の のどよひをるに いとのきて 短き物を 端きるといへるがごとく 楚取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術無きものか 世間の道

世の中を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

山上憶良頓首謹みて上る

(『万葉集』、巻五、岩波文庫、p229)

 

新訂 新訓・万葉集〈下〉 (岩波文庫)

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