呉世宗『リズムと抒情の詩学―金時鐘と「短歌的抒情の否定」』輪読

 

 

 

リズムと抒情の詩学―金時鐘と「短歌的抒情の否定」

リズムと抒情の詩学―金時鐘と「短歌的抒情の否定」

【要約】

 

【序章「短歌的抒情の否定」が目指すもの】

 

本書に「リズムと叙情の詩学」というやや幅の広いタイトルを付してあるのは、「短歌的抒情の否定」という方法が、表現される感情の在り様だけでなく、その表出にあたって介在してくる「リズム」も問題にするものだからである。つまり「短歌的抒情の否定」という方法は、リズムとは何か、抒情とは何か、ひいては詩とは何かを問い直しつつ、金時鐘独自の詩学を生成させる核となっているのである。(p16)

 

金時鐘は「唱歌」や「国語」の得意な少年であった。家庭でも進んで日本語を使いさえした。島崎藤村北原白秋といった日本の近代詩人たちの詩集を好んで読み、それのみならず金素雲訳『乳色の雲』(一九四〇年、河出書房)から、朝鮮の詩情と日本のそれとの類似を読み取り感激を覚えもしている。「〔将来は〕軍人か抒情詩人ということが、ぼくの中に矛盾なく住みつ」く、模範的な皇国少年だったのである。(p17)

 

  「不幸な時代」の記憶が、日本語によって「日溜まり」のように「色どられ」てあること。言語がもたらす不幸の中の幸福は、単なる認識や感性のありようを越えて、実存とそれを取り巻く場との齟齬でもある。……そのような歴史的経験がもたらす実存、意識、そして世界の不調和を、言語の問題を越えることで克服しようとする際に金時鐘が選び取った方法が、「短歌的抒情の否定」なのである。だとすれば、「短歌的抒情の否定」という方法を用いてなされる日本語による詩作は、認識、記憶、感情、思考だけでなく、実存そしてそれを取り巻く場にも関わっていよう。つまり「短歌的抒情の否定」を通じて目指されるのは、齟齬の環境適応による解消ではなく、日本語を異化していくことで、自分自身だけでなく、同じく言語によって構成される場それ自体を変革していくことである。(p18)

 

情景を詠み、歌うことは、ある風景から触発された情感の流露を形にしたものであり、さしあたりは自然な行為であろう。だが金時鐘の引用にあったように、「あり余る朝鮮の風土」に、「夕やけこやけ」のような日本の唱歌が持つ「歌ごころ」をかぶせて「頬もめげよとばかりに声はりあげて」唄うことは、歌を通じて触発-表出される情感や情景が「朝鮮の風土」と重なり合わないことを示している。つまり歌が「内地」を離れて他の場所にもたらされると、風景に触発される情感やその表出は、自然な行為ではなく文化的に規定されたものであることが顕わになるのである。(p23-p24)

 

「短歌的抒情の否定」ということで目指されるのは、日本語による詩作を通じて言語を内側から変質させることで「短歌的抒情」を解体し、それにより反抒情的な抒情としての「まみれても垢じまない抒情」を創出することである。その「垢じまない抒情」とは、これから論じていくように、短歌的抒情とは異なり、自己と世界を変革することで、その断絶を繋いでいく働きを持つものである。「短歌的抒情の否定」という方法を考察することは、そのような反抒情としての抒情を創出する、金時鐘の抒情とリズムの詩学を明らかにすることに他ならない。(p33-p34)

 

【第一章「短歌的抒情」の形成史】

 

新体詩抄』を近代詩の起源とするのは、多分に文学史的イデオロギーが働いている結果だとしても、そこで用いられた「音調」、「平常ノ語」、「本音」、「徳」といった一連の概念は、日本近代詩史にとって大きな意義を持つものであった。……矢田部詩論には二つの軸がある。一つは、「充分ニ吾人ノ心ニ感スル所」、すなわち「本音」を「平常ノ語」と新体の詩形を用いて「吐露スベキナリ」と説くところにある。もう一つは、「本音」の吐露に当たって「詩歌ハ[……]望ムベキ所ナレ共、音調ノ宜シキヲ得ル事」というように、全体的な音楽的調子の美しさを求めることである。この二つの軸は、井上や外山によっても追認されており、したがって「本音」「平常ノ語」「音調」は『新体詩抄』の鍵語となっている。(p40-p41)

 

新体詩抄』における「音調」は、漢詩の平仄韻字、長歌等の古歌、そして欧米詩の押韻との対比から見出された、七五調を基礎とする韻律を指すものであった。言い換えれば「音調」は、漢詩、古歌、欧米詩との差異から抽出された概念だったということである。(p42)

 

哲学研究者・大西祝の「詩歌論一斑」によると、韻文は、その起源において「謳歌」「舞踏」「音楽」と密着的に生成した。その韻文が自立するにあたって持つに至ったのが、舞踏と謳歌を「通貫する繋」としての言語的「節調」だったと大西は述べている。……しかしながら大西の議論は韻文の現在的な姿を過去に投影したものと言え、そのため「節調」を「舞踏」「謳歌」「音楽」の「繋」とすることは、五・七のリズムを形成済みのものとしてロマンティックに歴史化することであった。それに対して元良は、より科学的な手法で五七のリズムを歴史化した。その結果元良は、リズムとして整えられる以前の状況を見出し、そこに豊かな思想が伏在していたことを発見したのである。つまり形式の歴史性を捉えた元良の論は、結果的に五七のリズムからはみだす「内容」の存在を指摘するものであった。逆から言えばこれは、リズムが知の枠組みとして、思想や感情を規制するということである。(p45-p46)

 

山田によると、「真成の韻文」とは言語と韻律と思想とが調和したものである。言語の調和は韻律がもたらす、言語の調和は思想の調和と一致する、故に韻律は思想とも調和し、それが結果として普遍的な思想に向う余情を持つ韻文を導く、というわけである。これは「韻律」を調和の鍵とすることで、思想と言語の調和そして哲理の開示を形式の問題に還元することであった。(p51)

 

外山が新体詩を「長歌流新体」と名付けようとしていたことは既に述べた。これは当時、新体詩を「ポエトリー」として、つまり歌と詩を両方含むものとして構想していたからであった。しかし『新体詩歌集』では、立場の転換により、外山は自らの新体詩を「朗読体」ないし「口演体新体詩」と呼ぶことを提案している。これは、詩と歌の総称である「ポエトリー」から「歌」を除外し、話し伝えるための(新たな)新体詩という立場の移行であった。それは「音調」と密接であった「平常ノ語」を、日常的な言葉というより、現代的な意味に転換していくこと、「思想感情」すなわち内容と形式を明白に区別すること、そして内容に従って形式を選択することを意味していた。(p55-p56)

 

時枝のリズム論の新しさは、普通考えられているように、音声の表出があってリズムが成立するのでなく、場面としてのリズムがまずあって、音節、結合された音声、単音の配置が順に起こるとしたところにあった。発声に先立って音声の連なりを規制し構成するものとして、リズムが考察されたのである。(p71)

 

まとめるならば、時枝の「源本的場面」としての「リズム」は、言語存立の条件であった「場面」を包摂することで、それがもつ外部性を日本語のなかに封じ込めるものであった。……つまり「リズム」と「抒情」の近代化の帰結は、両者が相互に規制しあうことで、感性の共同体を産出するのみならず外部を覆い尽くすことで、認識にも強い影響を及ぼすと考えられるのである。(p74)

 

 

 

【小括】

序章と第一章では、金時鐘における詩作の根幹をなす「短歌的抒情の否定」に対する視点の提示と、その前史として位置付けられる「新体詩」をめぐる論争を読み解いた上で、近代日本における「リズム」論が、「抒情」や「思想」を規定し、井上哲次郎高山樗牛などの「国民道徳」論へと連なる系譜を形成したことを指摘している。序章と第一章は、このような「形成史」を前提として、「風景に触発される情感やその表出は、自然な行為ではなく文化的に規定されたものであること」(p24)を明らかにすることを試みるための導入部分といえる。