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 佐藤慎一『近代中国の知識人と文明』(1)

近代中国の知識人と文明

近代中国の知識人と文明

旧体制の中国において、官僚になることができるのは、原則として学問を修めた者に限られていた。また、大部分の者にとって、学問を修める目的は何よりも官僚になることであった。学者=官僚という等号には、これら二つの意味が含まれている。そして、その等号を制度的に媒介するのが、科挙であった。高等文官試験である科挙は、行政区画の最末端である県を単位として行なわれる県試に始まり、皇帝の面前で行なわれる殿試に至るまで、試験の諸段階は細かく分ければ十を優に越える。県試の受験者が全国で数十万人あったとしても、各段階ごとに受験者は淘汰され、三年に一度開催される殿試に合格して進士の資格を獲得し、官僚に任命される者の数は、十九世紀後半の段階では三百人前後に過ぎない。柯劭〓は三十六歳で進士となっているが、これが科挙最終合格者のほぼ平均年齢である。幼い頃から学問にいそしみ、何段階にも及ぶ科挙の狭い関門を突破して、人に抜きんでた能力の保有者であることを客観的に立証し、官僚となって皇帝の統治を補翼するものが士大夫なのである。(p11-p12)