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 「二重の没交渉」について考えるために

最近、ときどき研究界隈で覗いているブログで、江戸文学と江戸思想史に関して、活発な意見交換がやり取りされています。

事の発端は、忘却散人さんの記事にて、中野三敏先生が、近年主張している「江戸儒学の中心は陽明学だったのではないか」という主張に対して、思想史研究の側から反応がないのはなぜかという問題提起を含んだ発言をなされたことから始まります

http://bokyakusanjin.seesaa.net/article/281530292.html

忘却散人さんの記事からの引用です。

そのひとつが「江戸モデル封建制」論で、江戸時代の武士道を論じたあたりである。「近世的自我」論における、江戸儒学の中心は陽明学という説も、このごろさらに先鋭化している。思想史の方から全く反応がないらしいが、思想史の人は活字になった文献しか読まない(?)ので、先生の説の根拠になっている諸文献の追試ができないのかもしれない。


この発言を受けて、最近、徂徠学を中心にした論考などでご活躍めざましい高山大毅さんが、思想史研究者から反応が鈍いのは、中野先生が提示モデルとした、島田虔次を範とする陽明学理解が、現在の中国思想史研究では、批判および再検討されており、古い解釈に留まっているという発言です。


http://bokyakusanjin.seesaa.net/article/281530292.html#comment

中野先生の議論に、思想史側から反応がないのには別の要因がある印象を持っています。先生が依拠なさっている島田虔次の陽明学解釈が多くの批判を受けて、もはや「過去」の説になっているのが、おそらく決定的です(60年以上前の説ですから…)。島田説の問題点と学説史上の位置については、溝口雄三等『中国という視座』(平凡社、1995年)と伊東貴之『思想としての中国近世』(東京大学出版会、2005年)に詳論されています。


コメント欄でのやり取りは、主に陽明学の話題が中心になっています。陽明学理解に関する当否は、わたしが不勉強なので判断できません。ただ、研究の流れとしては、高山大毅さんのご指摘は、自分が勉強した範囲の限りでも概ね妥当だと思います。

また、高山さんがおっしゃられるように、思想史研究者への鈍感的な振る舞いについての違和感はわたしも感じていましたし、個人的にも文学史研究と思想史研究の没交渉的な現状については、自らの研究テーマと照らし合わせても常々どうにかしたい、と思っていました。

それに波及して、myongsooさんが、関連するエントリを書いております。日本思想史と日本史学に横たわる没交渉のあり方への発言でして、これは僕も感じることです。ともに文献を重んじながらも方法的なアプローチが違うこと、また、思想史の分野は、各諸学の「一分野」的な扱い方しかなされていないということを発言しています。

http://myungsoo.blog106.fc2.com/blog-entry-119.html

何かと言うと、現行の学問体系において、「日本史学」と「日本思想史学」が、ずいぶんかけ離れた分野であることを注記しておきたいのです。「歴史学」という言葉で両者を一括りにするののは、無理があります。

myongsooさんの意見はその通りだと思います。個人的な体験と付き合わせても「歴史学」研究者が「思想史学」研究者に向けて、まるでアレルギー反応のごとく冷笑的な振る舞いをするのは、よくある光景でして、ここにも相互の没交渉的あり方は根強いと言っていいと思います。

私なりに、もう少し付け加えるならば、「日本思想史学」の主流はいまだに政治思想史的なアプローチが根強いということは、すくなくとも言えると思います。ゆえに江戸文学研究の最新の動向を傍らに置きながら、かつ思想史的アプローチを試みる思想史研究者が乏しいことも、思想史研究者による反応がない一つの理由だと考えられます。

しかし、江戸時代をめぐる文学史と思想史的な状況は、双方とも連動と横断を繰り返してなされてきた知的営為であることは間違いはなく、江戸思想研究と江戸文学研究の相互交流に関しては、ネットや紙媒体だけでなく、多様なメディアを通して、様々な展開可能性について、双方が良い方向へ向かうためにも考えなければならない時期に差しかかっているのかもしれません。

最後に、もう一つだけいうならば、「思想史学」は、活字になった史料しか読まないというのは、誤解です。「思想史学」はテクストの文脈の位置づけと内容の読解が主眼なので、はたから見れば、そのように映るかもしれません。しかし、前近代をフィールドにしている「思想史」の研究者ならば、近代以降に活字化された文献以外でも、俎上に置いて検討することはあります。myonsooさんなどのご論考についても拝読したことがありますが、実直なまでに原本を文献渉猟したうえでのお仕事ですし、知り合いの思想史学の研究者・院生でも原本にあたって、検討する作業は少なからずしています。それでも内容解釈が中心にはなりますが。最新の研究動向としても、とりわけ書物史による思想史的アプローチが盛んになっていることは、江戸思想史が新たな局面に入ったことを示唆するものだと思います。

自分のメモがわりとして書留めました。忘却散人さん。myongsooさん。高山大毅さんには、この場を借りて謝意を申し上げる次第です。