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 三ツ井崇『朝鮮植民地支配と言語』

コリアン関係

朝鮮植民地支配と言語

朝鮮植民地支配と言語

本書は、植民地期朝鮮における「言語的近代」の問題を、言語政策史と言語運動史の視点から考察した著作である。いうまでもなく、植民地期朝鮮の歴史研究は、様々な角度から急速に進展をみせている分野である。しかし、当該期の言語問題に関する研究に限れば、「日本語による植民地支配」という一方的な視点による分析が行われてきた。本書は、「日本語による植民地支配」という視点の限界について指摘し、従来の研究史で不備が多かった「朝鮮語規範化」の問題を取り上げることで、当該期における植民地支配の内実に踏み込もうとしている。

本書は、書き言葉(ハングル)の創出と、朝鮮語規範化の問題を措定するために、朝鮮総督府が行った、「朝鮮語綴字法」の制定および改定の過程について考察している。しかし、言語政策としての「朝鮮語綴字法」自体は、法的拘束力もなく、脆弱なものであり、実用化に耐えうるものではなかった。この政策の失敗こそが、むしろ「日本語による植民地支配」を強めていく契機であることを指摘している。その背後にあるのは、近年の歴史修正主義が唱える「朝鮮語近代化」論であることは言うまでもない。その意味で、本書は「朝鮮語近代化」論を意識しつつ、史料を跡付ける方法からそれを切り崩している。

本書のもうひとつの分析軸は、言語運動史の問題である。これまでの言語運動史に関わる記述は、1942年における朝鮮語学会事件への歴史的評価が中心であった。さらに解放後における大韓民国も、言語ナショナリズムの「正統的担い手」として、朝鮮語学会を位置付けている。本書では、これまで「抵抗主体」として称揚されてきた、朝鮮語学会事件が正統性を帯びた唯一の歴史叙述であるような視点を批判する。この意味で本書の分析は、むしろ朝鮮語学会に対立関係であった、朝鮮語学研究会の動向と知識人の言説に割かれている。それは、解放後における韓国の「伝統」をめぐる一元的理解への批判も意味していると思われる。

このように本書は、従来の研究史において、朝鮮語の問題が付随的に扱われたことを批判し、その限界を突破しようとした試みだといえる。とりわけ本書は、言語政策史と言語運動史の視点から、植民地期朝鮮における「言語編成」の性格を位置付け、さらに記述を踏み込み、漢文/日本語/朝鮮語による「言語的序列」と「連鎖・複合関係」の中から編成される過程を提示したことは意義深い。さらに本書は、今後の植民地期朝鮮研究が示す方向性にも言及がなされており、きちんと先行研究を整理したうえで、その問題点についても明らかにしている。浩瀚な研究書ではあるが、読む価値がある一冊として、この場を借りて紹介したい。