李基原『徂徠学と朝鮮儒学―春台から丁若?まで』

徂徠学と朝鮮儒学―春台から丁若〓まで

徂徠学と朝鮮儒学―春台から丁若〓まで

現在、江戸思想史研究では「一国思想史」の克服と「東アジア思想史」への模索について、活発な議論が展開されている。本書は近年の研究動向を敏感に応答するかたちで、世に出されたものだといえる。

本書は徂徠学をひとつの媒介として見据え、朝鮮後期知識人における徂徠学の読解作業を明らかにしようとした意欲作である。本書の内容は、いくつか考察対象となる主題から構成されているので、ここでは構成に倣い、各主題に即した内容紹介を試みる。

まず序論において、日本と韓国における徂徠学研究史を概観したうえで、問題構成として立てられるべき課題として「東アジア思想史の可能性」を示唆している。そのことは、荻生徂徠(1666-1728)がいまだに「日本思想史の内部」(p5)を強く規定しているあり方についての問題提起として受け止めるべきだろう。

いうまでもなく、日本における徂徠学研究は、丸山眞男が徂徠学を「近代的思惟」の前哨と位置付け、いわゆる「儒学の日本化」論に繋がっていく視点を持っている。さらに子安宣邦は、かかる「日本思想史」に対する内省を促し、徂徠学の出現を「事件」と捉えることで、徂徠学の出現に伴った思想的な波紋の位相について言及した。

しかし、従来の徂徠学研究は、日本という「一国思想史」的な視野しか持ちえないという限界を見通すことで、本書は「日本思想史の外部」という領域に分析対象を拡げることで、はじめて徂徠学が為した思想的波及の位相が解明されると論じている。その意味で本書の画期性は、これまでの「一国思想史」の克服を目指し、新たな地平を拡げる試みとして朝鮮後期の儒学テクストを傍らに置きつつ、その痕跡を読み解く作業に結実しているというべきだろう。

本書で主人公とされる思想家が、丁若?(정 약용 1762-1836)である。丁若?に関しては、従来の韓国思想史研究では、外圧からの「強要された近代化」ではなく、「近代化への内在化準備」を為した思想家として評価されている。しかし、韓国思想史においても、その独自性を他地域の思想家との「類似」と「相違」の観点から浮き彫りにする研究手法が主流となっており、本書は韓国思想史の限界も同時に提示している。

また着目すべきなのは、丁若?が著した経書解釈書には、徂徠学の書物を参照にしており、なぜ丁若?が徂徠学を必要とし、また徂徠学の受容により、丁若?の思想がどのような変容を遂げたのか、という具体的な思想的位相の解明も試みているところである。このように本書は、テクスト読解と鮮やかな研究史の整理からみても、容易にはできない作業であり、その意味で非常に研究価値の高い著作といえる。次章以降は、序論で提起した課題について、徂徠学における古文辞学と人間論の二つの素材に即して考察を試みている。

第一章は徂徠学の構造的把握を試みている。徂徠は、「華と和とを合して之を一にするは、是れ吾が訳学、古今を合はせて之を一にするは、是れ我が古文辞の学」(『訳文筌蹄初編巻首』)と自らの学問姿勢を説明した。この言辞こそ徂徠学の方法を最も表していることは贅言を要さないだろう。

すなわち徂徠学の目的は、「和習」を戒め、「華音」を理想の姿として捉え、「古言」の背後にある「聖人の道」を見出そうとする徂徠独自の姿勢であり。それを古文辞的方法と換言することも可能だろう。また徂徠における「古言」論は、「安天下」へと至る政治的世界への関心を含んだものであった。

本書は「修己治人」と「人性」論とが交差しながら形成される「徂徠的人間」論を解明することにより、徳川日本における社会的統治論の出現という思想的現象の分析を試みている。徂徠は、朱子学に依拠した「心を以て心を制す」という修身論を批判し、「人性」の養育は、心の自制によるものではなく、「礼楽」という外部からの教化こそが、心の教化に繋がるとし、「形なき心」を制するのは、礼楽の習熟を通じた身体的規律によって可能だとする。

本書では、このような徂徠の教化論を、「人性」論と表裏となるものであると考察している。徂徠は「気質の性」が不変であることを唱え、人間は多様性や個別性を属性としている存在だと看做すが、この多様性と個別性こそ、人間社会が分裂する要因だとする。徂徠は「安天下」へと至る「治人」重視の傾向を帯びており、最終的には社会統合の必要性を説く職分論に至る思想的プロセスを丹念に読解している。

第二章・第三章では、太宰春台(1680-1747)の思想を分析し、その批判的継承を古文辞学と人間論の側面から分析している。本書の意義は、従来の研究において看過されてきた春台の思想的意義を、丹念なテクスト読解に基づいた分析を試みており、その点でも高く評価されるべきであろう。

春台は徂徠の「古文辞」癖に対して批判的であった。春台から見れば、そのような癖は「奇」なることと映った。事実、徂徠も「古文」の読解に長けておらず、春台は徂徠との邂逅のあとでさえ、「一旦ニハ疑網解ケザリキ」(『聖学問答』)と言うように、徂徠への疑念を抱いていたことを論じている。春台による『倭読要領』(1728)の思想的作業は、徂徠が提唱した「華音主義」に傾倒した経書解釈の方法が、現実的に困難であり、徂徠とは異なった学習プロセスの提起を試みたものである。春台は最初から華音に習熟するよりも、「此国の音」に慣れた「和音」をまず習い、「和訓」をしっかり習熟したうえで、華音を学ぶという学習プロセスを主張する。故に春台は、正しい「古文辞」を理解するためには、徂徠が否定した「古訓」研究の重要性を唱える。

春台は、「古人の文辞」を用いるためには、無批判に「古語の成語」を剽窃するのではなく、「体」・「法」・「辞」を自ら学んで、「古人の法」を知ることの重要性を提唱した、春台の「文」認識を解明している。このように本書は春台の古文辞学的方法を明らかにし、春台が徂徠の「古文辞の非」を認め、徂徠学における新たな転換の模索として位置付けている。

さらに本書は、春台における「経世」の論理を分析し、「徂徠学的人間」論の転換を見据えようとしている。春台は「民ノ風俗」(『経済録』)を社会の根幹と看做している。そのため、いかに「風俗」という日常生活において、いかに「礼楽」を組み込み、個人的レベルでの内面的世界を充実させるかという自らの課題を立てる。

この意味で春台は、「修己」による実践的側面を積極的に捉え、個人の「風俗」の拡充を行うために「礼楽」を考えており、春台の「修己治人」論を検討している。また春台の「修己治人」論は、老荘思想の受容が見られることに言及し、その「無為」の主張には、徂徠にはなかった為政者の有徳性を絶対化しない傾向を帯びていたと分析する。換言すれば、春台は「治人」重視ではなく、「修己」重視の立場を明確にすることにより、春台独自の経世論への模索を丁寧に追っている。

第四章・第五章では、徂徠学以後の時代的状況を考察する目的から、徂徠学批判を展開した儒者たちの思想を分析している。彼らの多くは、徂徠学を学んだが、その学問に疑問を抱き、徂徠学とは異なる経書解釈を模索していた。思想史研究では、そのような思想家群を便宜的に「折衷学」と呼称している。

しかしながら、従来の研究では、そのような儒者たちが追求した経書解釈の意図と方法について、きわめて冷淡的な評価を一方的に下すだけで、思想的意義を認めないのが主流であったといえる。本書ではとりわけ片山兼山(1730-1780)の思想的意義について考察を行っている。

片山兼山は、徂徠が唱えた「古言」論を否定することから出発する。徂徠は「古言」を通して経書の背後にある「聖人の道」の世界を展望した。兼山はそれに反駁を加える。兼山は「古言」は古経にある言葉だとし、「古言」の意味を徹底的に追求し、「古言」の典拠を古経に求め、「古言」を吟味することにより、「聖人の道」ははじめて明らかになり、正しい経書解釈に繋がるとしていた。このような片山兼山の方法は、「経」自身による経学と呼ぶにふさわしく、古文辞学から考証学への接ぎ木的役割を果たしていると本書は評価する。

さらに本書では「徂徠学的人間」論の問題点を自覚し、太宰春台が人間論への再構築を試みとして著した、『聖学問答』(1732)の波紋性をめぐる考察を行っている。『聖学問答』批判書の公刊が相次いでなされた背景としては、春台が述べた「古ノ聖人ノ道ニハ、心性ヲ談ズルコトナシ」という文言と、「孟子ノ言ハ、先王ノ法言二非ズ」という『孟子』批判に集約されている。

春台は「心法」による修養を否定し、「心」に価値基準を求めなかった。むしろ不安定で流動的な「性」をそのまま修養することを主張した。また春台『孟子』における性善説を否定し、徹底的な学習においてのみ、「人性」は決定されると唱えた。

しかし批判書を著した儒者たちからすれば、そのような「心性」の解釈こそが問題となる。このような理由から批判書を著した儒者たちは、外部からの修養を主張する徂徠学に対して、「本然の性」と帰るべきとし、「朱子学的人間」論への復活を企図したものだと位置付ける。

第六章では、徂徠学をめぐるテクストの痕跡をめぐり、同時代における朝鮮儒学の視角から考察を加えている。同時代的には、李〓(이익 1681−1763)の薫陶を受けた儒者たちが中心となり、社会制度論への関心が高まっていた。その大成者ともいうべき思想家が丁若?である。

本書は「近代韓国の内在的発展」の先鞭として、固定されてきた丁若?像に対して揺さぶりをかけ、「東アジアのなかの徂徠学」という大きな思想的文脈からの再検討を行っている。そのなかでも中心としているのが、丁若?の著した『論語古今注』(1813)である。とりわけこのテクストには、太宰春台の『論語古訓外伝』(1745)を参照にしたことを明らかにしている。

本書によれば、丁若?の経書解釈は、聖人による「経旨」(本意)を「古訓」から明らかにするような方法がとられていた。それは「字法」・「句法」から古経の道を捉えようとするものであり、この点から春台と問題意識を共有していたことを考察している。

しかし、丁若?は、経書解釈の方法の側面では徂徠学に共鳴したが、「治人」論では相違があることを論述している。例えば丁若?における「自修」の強調は、むしろ「心」の修養により、「治人」へと至ると考えており、その点で徂徠学が「心」の修養を否定する立場とは異なっているといえるだろう。

いわば徂徠学のように徹底した君子の立場からなされる「人性」論ではなく、丁若?は「行事」(実践的行為)にこだわることにより、「治心」に至るという立場を表明している。さらに丁若?は、朱子学における「性稟の性」・「気質の性」をも否定し、人の善悪は、個人の意志と実践により、「人性」は形成されることを目指した、丁若?の思想的普遍性を高く評価している。結論では改めて「東アジア思想史」の可能性を言及し、本書を閉じている。

本書の意義は、徂徠学を媒介することで、関心の高まりをみせている「東アジア」というより広い視野から思想史の素描を試みたことである。さらに徂徠学派でも春台を主役に置き、改めて春台の思想を位置付けようとした本書は、今後の徂徠学研究でも参照とすべき論点を提示しているといえる。また徂徠学が朝鮮儒学でも議論されていた痕跡について、丁若?のテクストを検討することにより、実証レベルでも一定の成果を上げており、総じて高い評価がなされるべき力作といえよう。

ただし疑問点がないわけではない。「折衷学」の隆盛と、朝鮮実学の出現は、同時代的な思想的現象であろう。本書が指摘するように、江戸儒学において朱子学の復活が気運として高まるのであれば、なぜ朝鮮儒学の側では、同時代的には朱子学が解体される気運へと向かうのであろうか。その説明に関しては乏しかったように思われる。

それと重なるが本書における図式的な理解も気になった。たとえば徂徠学的人間論の隆盛(徂徠)→徂徠学の批判的継承(春台)→朱子学的人間論の復興(反徂徠学)という図式がそれである。このような図式的な理解は、本書における朝鮮後期思想史の理解にも当てはまるように思える。

たとえば序論で丁若?が注目されてきた経緯について、「近代化の内在的発展」・「民族魂」という観点からの研究に対して批判したにもかかわらず、本論では丁若?の思想的意義を「朱子学的人間論の解体」の一点のみに求めており、「人間の解放」神話を安易に認めてしまいかねないのではなかろうか。かかる理解が可能であるなら、先行研究における「内在的近代化の体現者」としての丁若?像と、本書における論点の相違について言及してしかるべきだったように思われる。

しかしながら、荻生徂徠や丁若?の思想研究は膨大であるため、容易に整理できるものではない。またこのような指摘は、荻生徂徠と丁若?が担うイメージのあり方も同時に問うべき課題であり、これは一人の研究者だけが到底負えるような問題ではない。ゆえに本書で残された課題それ自体は、むしろ我々が今後も研鑽を積むことで解明されるべきものであろう。

以上のように本書に対する疑問点を呈してみた。しかし本書が試みた近世東アジアの「知の形図」を素描する作業そのものは並大抵なことではない。その意味で、本書は著者における今後の研究がさらなる発展を予感した内容となっている。本書が広く読まれ、本書に関する議論が活発に行われることを期待したい。