ヴェイユ.S『自由と社会的抑圧』(2)

同。

政治的次元でも事態は変わらない。国家による抑圧が、人民から峻別される常設の管理装置の存在、すなわち官僚・軍事・警察の装置に依拠することを、マルクスは明確にみてとった。しかし、これら常設の装置は、管理機能と遂行機能のあいだに事実として介在する根源的区別から不可避的に生じる結果なのだ。この点についてもまた、労働運動はブルジョワ社会の悪弊をそっくり再生産する。あらゆる次元で、同一の障碍につきあたる。われわれの文明のいっさいは専門化を基盤とし、専門化は調整者にたいする遂行者の隷属を含意する。かかる基盤に依拠するかぎり、抑圧を組織化したり精緻にしたりはできても、軽減などは望むべきもない。資本主義社会が、自由と平等のための物質的条件を、その懐中で鍛えあげたとするのは、およそ事実から隔たっている。新体制の樹立は生産と文化の先行的な変容を前提とするからである。(p16-p17)