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 オクサラ.J『フーコーをどう読むか』(4)

フーコー

「第8章 真なる性」より。

セクシュアリティのクイア的概念化の背景にある主要な考え方、それは、ゲイおよびレズビアンの同一性は――ヘテロセクシュアルのそれと同様――、自然で本質的な同一性ではなく、セクシュアリティの「健全で」「正常な」表現を統制する規範的ディスクールおよび権力諸関係を通して文化的に構築されたものにほかならないということである。これは、ホモセクシュアリティなど「実際には」存在しないことを意味するのではない。何かが構築されているからといって、それは現実的でないことを意味しないのだ。そのような構築物に従って、人々は定義され、しかも、自ら考え生きねばならないのである。しかしながら、性政治の狙いは、たんに自身の真なる同一性を発見し、それを奉じ、表現すること――「カム・アウト」すること――ではありえない。なぜなら、この同一性自らが、それが挑み抵抗しようとする圧制的権力関係を通して構築されているからである。クイア政治の最終目標は、たんなる権力からの解放や自身のホモセクシュアリティの肯定=断言〔カム・アウト〕より込み入ったものであらねばならない。社会に作動している権力関係への同一性の依存およびその文化的構成を可視化することで、自然で本質的なものとして私たちに押し付けれたさまざまな同一性に問いを付し、否定さえする必要があるのだ。男性/女性、ヘテロセクシュアルホモセクシュアルといった固定的二項カテゴリーによって考えるのではなく、セクシュアリティがこれらカテゴリーとの関係においてのみ複雑な構築物として生じてくるそのやり方をカテゴリーの構築とともに研究すべきなのである。(p145-p146)