イ・ヨンスク『「ことば」という幻影』輪読(2)

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【本章を取り上げた理由】 近年主張されている「東アジア漢字文化圏」という言説をいかに問題できるのか。それを考えるためのヒントとして、各章を選んだ。今回もポイントを絞りながら検討を加えたい。

1.言語という装置

すべての知識はことばからなっている。知識とはことばの一定の組み合わせである。そうであるとすれば、ことばを人間の意志から解き放ち自律的な運動をさせれば、現在は知られていない知識でも容易に発見できることになる。……重要なのは、単語と単語との自動的で偶然的な結びつきである。まるで単語どうしの偶然の配列が、人間に一瞬にしてあらゆる真理を開示してくれるかのようである。ここでは人間がことばを使うのではなく、人間はことばに奉仕するのである。(p34-p35)

2.文字から文体へ

もともと中国の文字だった漢字は、朝鮮、ベトナム、日本に伝えられたことは事実であるが、これら東アジアのそれぞれの民族は、漢字を受動的に受け入れるだけでなく、それぞれのやり方で独自の文化体系を発達させた。その結果、まずベトナムが、ついで朝鮮が漢字世界から離脱し、前者は「クォック・グー(国語)」と呼ばれるアルファベット表記だけを採用し、後者はほとんどの文章が漢字を用いずハングルだけで書かれるようになった。……いわゆる「漢字文化圏」のなかで、漢字の本家本元である中国と台湾をのぞくと、漢字から離れられないのは、日本だけだといってもいいくらいなのである。(p42-p43)

日本と朝鮮とのあいだで漢字使用のありかたが根本的に異なるのは、「漢文」に対するそれぞれの民族語の距離感覚がまったくちがっていたからである。……(朝鮮での―注)漢字の読み方は、中国語そのままではなく、それが変化した朝鮮語音ではあるが、訓読みによって漢字の意味を朝鮮語に直したりはしない。朝鮮における漢文は、純粋な漢文そのままのすがたを保持していたのである。(p45)

朝鮮における「ハングル専用文」の成立を、熱烈な文字ナショナリズムのあらわれだ けで説明するのは正しくない。もちろん、そのことを否定はできないが、その歴史的背景として、朝鮮においては「漢文/朝鮮語=漢字/ハングル」という厳格な階層秩序をなす言語体制が厳然として存在してきたことを指摘しなければならない。(p50)

明治時代の日本語は、漢字の「機能的使用」を極限にまで推し進めることによって、一方では西欧の近代的概念を翻訳することができたかもしれないが、他方でおびただしい量の「秘密術語」と「妖魔文章」をつくりあげた。それら「秘密術語」は、古典漢文に源がある場合でも、そこに盛り込まれた新しい意味は、完全に明治日本のものであった。こうして、明確な意味をもとめるよりは、理性を麻痺させ、無条件の服従を要求するような呪術的文体が生み出されたのである。そして、それは日本だけでなく、植民地となった漢字文化圏にもそのまま輸出されていったのである。(p64)

3.「日本語」への絶望

柳田の文体がどのように形成されてきたかという問題は、柳田学の専門家による検討に譲りたい。わたしが確認しておきたいのは、柳田が口語体の「である文」にものたりなさを感じていたということである。(p203)

明治以来の日本では、いわゆる「国語国字問題」が大きな論争の的となってきた。改革派は、表音式仮名づかい、漢字廃止、言文一致などを主張してきたが、そのつど「国語の伝統」を信奉する保守派の反撃にあって、「国語改革」の目はつみとられてきた。結局のところ騒々しい論争のあとにはなにも残らなかった。志賀はこうした近代日本語の歴史にいらだったのである。(p208)

北の日本語に対する絶望は徹底している。北は、日本がアジア大陸からオーストラリアにいたる広大な地域を支配下に収めたとしても、住民に日本語を強制することはできないという。北はその理由をこのように述べる。「此ニ対シテ朝鮮ニ日本語ヲ強制シタル如ク我自ラ」不便ニ苦シム国語ヲ比較的好良ナル国語ヲ有スル欧人ニ強制スル能ハズ。印度人支那人ノ国語亦決シテ日本語ヨリ劣悪ナルト云フ能ハズ」と。(p210)


4.むすびにかえて
本書は既出した論文集を集めたものなので、切り口は様々であってかまわないと思う。本書において興味深いのは、「漢字文化圏」に懐疑を抱いているところだろう。前東アジア社会における、「漢字文化圏」の〈受容〉と〈差異〉が錯綜した「場」として捉える必要があるだろう。短い報告だったので、参加者の質問を待つ次第である。

文責:岩根卓史