「国文学研究」を問い直すということ/問い続けるということ

「国文学」の思想―その繁栄と終焉 (学術叢書)

「国文学」の思想―その繁栄と終焉 (学術叢書)

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いま書店を見渡すと、サブカルチャーやネット言説を論じる書物が、店頭に並び隆盛期を向かえている。それらは「現代文化」を分析し、またそれに新たな意味を付与することに積極的にみえる。例えば、オタク・ブログ・恋愛・ニート・若者世代・下流社会などであろう。そのような動きのなかで、埋没してしまったのが「文学研究」である。現代において、「文学」を、あるいは「文学研究」を問い直すことにどれほどの意味があるのか。そのようなジレンマに苛まされることがたびたびある。それは書店の光景だけでなく、アカデミズムにおける現在の風景ともパラレルなものだろう。つまり、「文学研究」の有効性は失われつつあるのではないか。いや、もはや失効しているのではないか、という疑問だ。

また、かかる疑問は、国民国家批判という文脈でなされてきた研究にも当てはまるだろう。この動向は90年代から本格的になったが、もはや「成立」を精緻に検討する意味での「学知批判」は終りを告げ、「帝国日本」という視座による新たなステージに入り、新たな問い直しが始まっている。本書は「文学研究」をめぐる現状を踏まえながら、時代を象徴していた「国文学者」たちの言説を分析することで、再検討を促したものである。以下、簡単に内容を紹介する。

本書の構成は次のようになっている。
序 章 いま、「国文学研究」を読みなおす
 1 「普遍」と「特殊」のイデオロギー
 2 先行研究の整理と本書の課題
第一章 近代「国文学研究」の形成と世界
     ――「支那文学」とのかかわりから
 
 1 漢詩から新体詩
 2 近世における学問と世界
 3「西欧の衝撃」と「世界文学」
 4「世界文学」と「国文学研究」
 5「支那文学」の発見と日清戦争
 6「他者」としての「支那文学」
 7「国文学」と「支那文学」の「影響関係」
 8「支那文学」のイメージ
 9 東アジア的「世界」像の脱落と近代的「世界」像の確立
第二章 文学史と西欧中心主義
     ――「英文学者」・土居光知の「日本文学」論
 1 阿部知二のヨーロッパ紀行
 2「欧米文学研究」の成立
 3『文学序説』の登場と大正期の「世界文学」
 4 叙事詩・抒情詩・劇
 5「日本文学」の「逃避的」性格
 6「世界的文学」と「国民的文学」
 7「英文学」と「世界文学」
 8「外国文学研究」と「国文学研究」
第三章 「美」のイデオロギー
     ――岡崎義恵と「日本文芸」の「普遍」性
 1 佐藤春夫と古典
 2「日本文芸学」の登場
 3 美学からの「国文学」論
 4「日本文芸」の「様式」
 5「美」のイデオロギー
 6「美」の「普遍性」と西欧美学の批判
 7 岡崎義恵の「世界文芸」論
 8「普遍」主義と「特殊」主義の共犯関係
第四章 「国文学」の周縁
     ――「大東亜共栄圏」とのかかわり
 1 蓮田善明と「戦地」からの「国文学」
 2 一国主義的「国文学」の論理
 3「大東亜建設と国文学の理念」
 4 保田与重郎と「国文学」
 5「文学研究」と朝鮮
 6 内鮮一体化と「国文学」
 7 東アジアと一国「国文学」のゆくえ
第五章 「文学」と「科学」の時代
     ――池田亀鑑・久松潜一と文献学の論理
 1 松本清張と「国文学」アカデミズム
 2「日本文芸学」の衝撃と文献学
 3 近代「国文学研究」の典型としての文献学
 4 文献学と国策
 5「真善美」の「国文学研究」
 6 文献学のゆくえ
第六章 「国文学」の「革新」
    ――風巻景次郎と「日本文学史」叙述
 1「革新」としてのナショナリズム
 2「文学」の歴史性
 3 近代的「文学」の系譜
 4「個人」と「国民」
 5「国民文学」論とマルクス主義
 6「国民文学」のゆくえ
結 章 「国文学」の終焉
 1「世界文学」と一国「国文学」
 2「国文学」の栄光と宿痾
 3 近代「国文学研究」の終焉

順を追って各章の概要を検討しよう。まず序章では、著者の本書における問題設定について言及されている。近代日本の「国文学研究」の構造的分析には、「世界文学」という概念が欠かせないと述べる。つまり、「国文学研究」という学問は、つねに世界における「普遍性」と、日本という「特殊性」のなかでせめぎ合い、葛藤しながら、その言説的地位を絶えず確認しながら、構成されていくプロセスこそが重要なのだ、と本書は指摘する。その上で、その形成に重要な役割を果たしたのが、帝国大学出身の「国文学者」たちであった。また、これまでの先行研究も手際よく検討されており、本書の意図は、「国文学研究」に携わった研究者それぞれの思想構造の検討にあることを述べている。それを評者なりに言い換えるならば、国民国家論の文脈では捨象されてきた、個々の言説を拾い上げ、ミクロな視点から構造的な把握を試みたものだといえよう。
 
第一章からは、具体的な分析に入る。本章で取り扱われているのは、近代日本における「支那文学」の言説的布置とその変容である。前近代の漢詩人や学者が共有していた、漢詩文の世界から、どのようにして、「支那」は「一国文学」という概念による囲い込みがなされてきたのか、という問題を検討している。「国文学」という「特殊性」を主張するには、前近代の漢詩文的な世界像は、明治の「国文学者」たちにとって、ある種のアポリアとして意識されていた。それは、一九世紀日本が、「世界文学空間」の秩序に組み込まれることと平行しているわけだが、西欧の「各国文学」と同列なものとして看做し、下位に位置付けることで、自己同一的な「国文学」像が形成されていく過程を検討している。その「保守的で形式的」な「支那文学」というディスクールが、日清戦争を通じて定着していくこともあわせて指摘がなされている。
 
第二章では、「英文学者」であった土居光知(1886〜1979)に焦点を当て、近代における「国文学研究」に与えたインパクトとして、土居の文学論を検討している。土居の文学論を俎上に置くことは、同時に他者としての「外国文学」を受容した一人の研究者が、「国文学」をどのように照射し、構成したのか。その一方で、「国文学」はいわば「世界の窓」ともいえる「外国文学研究」をどのように受容したのか、という問題である。その意味で「外国文学研究者」は、「国文学研究」にとって不可欠な存在であったといえるだろう。土居の『文学序説』というテクストの登場は、その先駆であった。そのなかでも「国文学研究」に影響を与えたのが、叙事詩・叙情詩・劇という発展史観を有した文学ジャンル論であり、その「普遍法則」の上に「文学史」を叙述するというスタイルである。そのような土居による機械的な叙述がもたらした功罪にも言及し、「世界文学」を規範化した「日本文学」を構想すること自体が、西洋化された「普遍」というイデオロギーに収斂する回路を生み出すことになったと総括している。
 
第三章では、岡崎義恵(1892〜1982)の「日本文芸学」という手法のイデオロギー性を検討している。岡崎義恵は、美学的な立場に依拠した新たな研究手法として、「日本文芸学」を提唱した人物だが、その意図は、おそらく帝国大学アカデミズムが継承してきた文献学に対するアンチテーゼがあったとされるが、岡崎は文学が内在する「芸術性」を解明することを試み、ドイツ文芸学の研究を受容することで、古典学や文献学とは異なる学問を確立しようとしていたことを論証している。その上で、著者は岡崎の「日本文芸学」の問題性について考察している。それは「鑑賞」という概念に端的に表現されているが、岡崎の論理は、ドイツ観念論的美学を根拠にしたものであり、作品を書く主体の「芸術性」に重点を置く限り、膨大な例外が捨象されていることを明らかにしている。また、岡崎は教学刷新運動に乗じて、自らが作り上げた学問に依拠し、「日本文学」の非論理性・叙情性を称揚するようになる。本書は以上のことを踏まえて、岡崎を「日本文化論」の理論的先駆者として位置付けている。
 
第四章は、「大東亜共栄圏」という言説と「国文学研究」の関係性について検討が行われている。ここで対象となるのは、蓮田善明(1904〜1945)や、保田与重郎(1910〜1981)、高木市之助(1888〜1974)といった人物であるが、いかにして彼らは閉鎖的な「国文学」像を四〇年代に形成していったのか、という問題が取り上げられている。すなわち、彼らの「国文学研究」が有した植民地に対する無関心を貫く態度を追及する。彼らは内鮮一体化を推進し、古典文学の普及が必要だと主張する。そのことは、彼らのコロニアルな問題に対する認識を示している。かかるナイーブな言説を「大東亜共栄圏」が叫ばれていた時代に主張し、次第に閉鎖的な学問としての「国文学」を再編制するあり方は、いかに彼らが抽象的な議論に終始していたのかという証左でもある。著者の言葉を借りるならば、「彼らにとっての主要な関心事とは、やはりあくまでも『日本民族』の文学だった」(209頁)ということに尽きるだろう。それは戦後日本にも長らく共有された意識だったことを忘れてはならない。
 
第五章では、アカデミズムの本流としての文献学を継承した池田亀鑑(1896〜1956)や久松潜一(1894〜1976)の文献学が持つ問題を考察している。文献学が「国文学」アカデミズムにおける優位性は、その「科学性」・「客観性」を保証しているという仮構の鏡像が存在しているからにほかならない。文献学とは、いわば基礎作業が山積みされた学問である。その基礎作業の上で、「無味乾燥」ともいえる研究成果が生み出されるわけだが、池田や久松は、それを実践し、またそれを内面化した研究者である。しかし、その客観主義的手法は、「科学性」に依拠している限り、「文学」に対するコンプレックスを増幅させる結果となった。それを埋めるために、同時期に勃興した文芸学などの手法を取り込み、彼らは三〇年代から四〇年代にかけて「権威」として君臨する。しかしながら、文献学の「科学性」というのは、事実として、国家総動員体制下において、強力な国策イデオローグとして機能した。つまり、国策イデオローグとして自らを確立することで、文献学は「文学コンプレックス」を解消するための、「癒しの物語」を求めたのだと述べている。
 
第六章は、マルクス主義を「国文学研究」に取り入れた第一人者である、風巻景次郎(1902〜1960)の思想を検討している。ここで問おうとしていることは、風巻に代表される「革新」的な文学研究が有していた危うさであろう。さらにいえば、「国文学」に対する肯定的な姿勢が、戦前・戦中の文学空間において構成された雰囲気と重なり合っていたのである。リベラルと看做される「国文学者」たちは、「国民」の意識を前近代の文学作品から〈発見〉することで、結果的には「国民文学」という学知を強固なものにした。それは、戦後長らく継続していく文学論を産出した「責任」への、本書なりの異議申し立てとしても読み取れる。風巻景次郎の戦時期の言説は、「国策」へと導く「国民」概念を形成したのにもかかわらず、そのような「革新」と呼ばれた学者たちにおける言説が問われないまま、野放図な状態が、いまだに「国文学」アカデミズムで続いていることの意味を鋭く問いかけている。そして終章では、「国文学」の終焉という現在の事態を冷静に分析しながら、新たな枠組みとしての「知」の模索を強調し、本書を閉じている。

ここまで本書の内容を検討してきたが、最後に評者なりの読後感をのべてみたい。本書の優れたところは、近代日本においてメルクマールとなった「国文学者」の言説を精緻に精査し、「世界文学のなかでの国文学」という視座で位置付け、多様な知的営みが交錯し、絡まり合って形成された学問的制度であることを明らかにしている。それは従来の研究では、芳賀矢一を始祖とする、「ドイツ文献学」から「国文学」は構成されてきた帝国大学アカデミズム内部における多声性が俎上に置かれている点で示唆深いものがあったし、学ぶべきことが多かった。しかしながら、著者の知的努力に敬意を表したうえで、あえて疑問点を述べるとするならば、「国文学研究」の言説が広範に示されていく、大正期にかけてのフォークロアの勃興や大衆消費社会の到来によって、同時代的にみても、「国文学」アカデミズムは、かかる動向を無視していないだろう、というのが第一の疑問だ。アカデミズムによって形成された「国文学」ではない、より広義な意味での、「文学研究」をめぐる多様で複層的な言説的位相についての言及が欲しかった。「国文学研究」における内在的批判を真正面から引き受け、真摯に応答する著書の姿には共鳴を覚えるが、しかし帝国大学が抱えた問題を、本書がしばしば指摘する、《国文学者たちの文学コンプレックス》に還元する「語り口」とは違った〈方法〉があったのではないか。さらにいえば、一九二〇代〜四〇年代に対する時代的要請は、「日本文学」を国策イデオロギーに転化する装置として捉えられているが、問題は、そのような国家イデオロギー装置論的な視座をめぐる有効性自体がいま問われているのではないだろうか。「『明治』以降の「国文学者」たちが国民国家パラダイムで思考したことは、近代化にともなう歴史的な過程としてやむを得ないものだった」(290頁)と述べているが、評者はその説明に対し、即座には首肯できない。あるいはアカデミズムへの批判的視座も硬直化された見方では、それが内意した「政治性」への説明は出来ないだろう。

隣り合った役所が仕切られ、それぞれの切片上に役所の責任者がいる。そして廊下の突き当たりにも、塔の上にも見合った中央集権化が認められる――そんな硬質な切片性によって官僚政治を規定するだけでは十分とはいえない。なぜなら、それと同時に官僚の切片化、役所の柔軟性と疎通、あるいは官僚政治の倒錯、そして行政上の規則と矛盾する独創性や創造もまた、確実に存在するからである。*1

現在の「学知批判」に求められているのは、アカデミズムを「硬質の切片」として捉える従来のあり方とは違う、〈政治の倒錯性〉にこそあるだろう。だからと言って、本書の意義が損なわれないことは重ねて言っておきたい。近年、バックラッシュ論にみられる保守的反動や、教育基本法「改正」議論により、ポスト冷戦以降のナショナリズムの不気味な姿が現前化している。その意味において、近代知批判のあり方は、重大な方向転換を迫られている。その意味で本書は、「学知」を問い直す従来の〈方法〉自体も、新たな岐路に差し掛っていることを示しているように思われる。それは本書が、現代日本の社会状況と、つねにリンクした問題意識を抱えながら、近代の「国文学研究」を再検討していることからもうかがえる。私たちは不断に自分の足下のある状況について、「問い直す」という営みを継続しない限り、道は開けないのだと評者は強く思う。「為にする」国民国家批判だけではなくて、様々な「国文学者」の布置を追うことで、自らの位置を確認しようとする本書は、より多くの人に読まれるべきであろう。評者がどれほど著者の意図を汲み取れたかは自信はないが、著書における益々の研究の進展を期することで、この拙い本稿を閉じたい。
                
(『日本思想史研究会会報』24号、2006年)

文責:岩根卓史

*1:ドゥルーズ、ジル=ガタリ、フェリックス『千のプラトー宇野邦一他訳、河出書房新社、1994年。p242。