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 「韓流」で〈朝鮮〉は死んだのか?―中根隆行『〈朝鮮〉表象の文化誌』を読んで

“朝鮮”表象の文化誌―近代日本と他者をめぐる知の植民地化

“朝鮮”表象の文化誌―近代日本と他者をめぐる知の植民地化

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今年9月に公開された、ペ・ヨンジュン(배용준)主演「四月の雪」へのメディア報道の過熱ぶりを見ると、日本中の話題をかっさらった「韓流」ブームは、未だに健在なのだと評者は改めて思った。「ヨン様」と「ジウ姫」は、相変わらずの人気だし、「韓流四天王」という言葉も、記憶に新しいところである。さらに「韓流四天王」という言葉も、記憶に新しいところである。さらに「韓流」俳優のメディア露出度は今年になっても衰えを見せないし、またあれだけ流れた「冬のソナタ」主題歌と挿入歌の数々は、現在でも「定番ソング」として聞く機会がある。日韓共催のW杯と「韓流ブーム」のおかげで、つい最近まで「近くて遠い国」と呼ばれていた「韓国」という国が、私たちにとってより親近感を感じる国の一つになったことは、評者が改めて言うことでもないだろう。

日韓をめぐる文化的状況は急速に変化した。もちろん肯定的な意味で。しかしながら、評者はその状況を素直に受け入れたいと思いつつも、心の隅のどこかで違和感を感じ続けざるを得なかった。日韓間での「竹島問題」。そして数多の憎悪にも似たアジテーションとして記号化された〈北〉の情報を垂れ流すマスコミ(ちなみに私は金正日政権を擁護しているわけではない。念のため)。さらに、ここ最近インターネットやサブカルを媒介にして語られる「嫌韓」という言説(端的に言えば、『マンガ嫌韓流』のベストセラーがそれを示している)。これらの社会現象を一体どのように言語化し、論理的に同定すればよいのか。評者の戸惑いはそこから来ていた。言い換えれば、〈朝鮮〉というトポスを「語る」ための〈ことば〉が、「日本」には欠如しているのではないのか、という評者自身の素朴な疑問が燻っていたのである。もう少し咀嚼するなら、〈朝鮮〉という存在は、「日本」にとって絶えず負の感情を惹起するものであり続けてきたにもかかわらず、あのブームによる変貌で、私たちの中にある〈朝鮮〉への眼差しが、果たして急激に変化したと言い切れるだろうか、と評者は問いたいのである。その意味で「私たち」の中にある〈朝鮮〉への眼差しが、果たして急激に変化したと言い切れるだろうか、と評者は問いたいのである。その意味で「私たち」の抱く〈朝鮮〉は、その都度〈分裂〉し、揺らぎ続ける。その〈分裂〉は時として、心のどこかに深く刻み込まれた心理的トラウマを、互いに喚起するようなものではなかろうか。評者は中根氏の著書を紹介する前に、李良枝の『由熙』からその一端を窺ってみたいと思う。『由熙』という作品は、「日本/朝鮮」という隔たりが、ただ単に言葉の相違や文化的習慣の違いだけでなく、ある種の負の感情を喚起するのだということをその強い文体を通して私たちに教えてくれる。日本から留学してきた由熙という一人の在日コリアン女性と下宿先で世話をする「わたし」との距離は、由熙の「日本語」によって裏切られるのだが、それはまた二人の「遠さ」を象徴的に表現している。『由熙』のなかでその場面は、次のように語られる。

文字が息をしていた。
声を放ち、私を見返しているようだった。
ただ見ているだけで、由熙の声が聞こえ、音が頭の中に積み上げられていくような、音の厚みが血の中に滲んでいくような、そんな心地にさせられていた。
(……)
文字には表情があった。
日付はなく、ところどころ一行か二行空けられて書き綴られていたが、表情の変化がその時々の由熙自身の心の動きを想像させるように、鮮やかだった。ある部分やある文字は泣きながら書いているのではないかと思わせ、ある箇所やある文字は泣きながら書いているのではないかと思わせ、ある箇所やある文字は、焦り、怒りもし、また由熙が時折見せていた幼児の表情や、甘えた声を感じさせるところもあった。由熙はこれらの日本語を書くことで、日本語の文字の中に、自分を、自分の中の人に見せたくない部分を、何の気がねも後ろめたさもなく、晒していたのだと思えてならなかった。私は息をつき、神の束から目を離した。
(……)
私は自分が由熙自身に成り替わった気持ちで部屋をまた見回し、文字も見つめ返した。
あれほど親しくあれほど身近にいて、由熙を妹以上の思いで心配し、同情もし、ある時には真剣に怒ったこともあった。そして由熙自身も私を姉のように慕ってくれているものと信じ、互いに似たところに惹かれ合っていたはずだと思っていた。
しかし由熙は遠かった
由熙が書く日本語の文字に、異和感は少しも覚えなかった。毎日のように顔を合わせていた由熙が、私の知らない一人きりの時間に、これらの文字を書いていたという事実に、由熙の遠さ、二人のどうしようもない距離を感じずにはいられなかった。
文字に引きつけられながらも、私は、奥歯を噛みしめたくなるような、不快で腹立たしい感情を抑えられずにいた。放っておけない、と思い、由熙が韓国に対して感じている不満を、いちいちが自分のことのように、ある時はすまなくさえ思い、少しでも、一日でも早く、と由熙がこの国の生活に慣れてくれることを願っていた自分の誠意が、由熙のそれらの日本語によって、裏切られたような気がしてならなかった。*1

由熙に刻み込まれた「日本語」という〈ことば〉は、由熙と「わたし」との距離の、その「遠さ」を感じさせるものとして浮上してくる。由熙は試験直前になると、ハングルでの書記に戸惑い、ティオスギ(分かち書き)も十分に習得出来ていないことを「わたし」に叱られ、「一人にさせて下さい」と呟く。そして「우(ウ)리(リ)나(ナ)라(ラ)(母国)」という言葉に出くわす度にその言葉に詰まり、答案を書けずにいる由熙……。
韓国語をまるで催涙弾のように苦く、辛く、息苦しさを感じてしまう由熙の身体。そして、彼女は嗚咽を発しながら、乱れた文字で書き付ける。「사(サ)랑(ラン)할(ハル) 수(ス) 없(オプ)습(スム)니(ニ)다(ダ)(愛すること出来ません)」と。さらに由熙は、「わたし」に向かって責めるように問い詰める。「オンニ、韓国語にはね、ほとんど受動態の言葉がないのよ。オンニそのことを知っていましたか」
「わたし」は、由熙の問いかけに一通りの弁解をする。だが、由熙のそのような愚痴に付き合ってきた「わたし」は、由熙に対して日を増すごとに鬱屈したものを堰き出したかのように、こんな言葉を投げかける。

由熙、あなたはけちんぼよ。在日同胞というのは日本人なんだわ。ううん、日本人以上に韓国をばかにして、韓国を蔑んでいるのね。些細なことをちっとも許そうとしない。目をつむってあげようともしない。由熙、あなたは神経質なんかと違うわ。けちよ。心がけちんぼなのよ*2

李良枝は、由熙を「在日」というアイデンティティーの狭間をつねに揺れ動きながら、韓国を「우리나라」としては愛することが不可能な身体を、「日本語」によって刻み込まれた存在として描写していることは間違いない。だが、李良枝が由熙を痛々しいまでの身体的苦痛を伴いながら、韓国と向き合いつつも、ある「裏切り」によって挫折してしまった存在として描き切ったのはなぜなのか。もちろん李良枝の「出自」もあるが、様々な想像を張り巡らせても、この作品自体が、〈亡霊〉のように背後に横たわる「日本語」によってスティグマを刻印された〈朝鮮〉にとっての「日帝時代(일(イル)제(チェ)시(シ)대(デ))」とは何であったのか、というところまで『由熙』の問いかけは行き着いているように思われるのは評者だけであろうか。それは単に「在日」固有の問題に留まらず、植民地朝鮮で行われた「国語の時間」にまで、我々の問いは深く掘り下げていかねばならない。

こうして我々は、中根氏が提起した一連の問題群に対して呼応することが出来るように思われる。中根隆行氏の『〈朝鮮〉表象の文化誌』は、明治以来の「日本人」の〈朝鮮〉に対する文化的表象の問題を、戦後まで見据えた長いスパンで取り扱っている。本書は「文学」を主なフィールドにしながら、〈朝鮮〉表象のあり方を探っているが、本稿では出来る限り本書を簡潔に紹介した上で、評者の読後感なりを書き留めておこうと思う。

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本書は三部構成になっている。章ごとの内容紹介は煩雑になる恐れがあるので避けるが、まず本書の目次を確認しよう。

序章 〈朝鮮〉をめぐる文化的記憶

第?部 他者表象と文化闘争

第1章 旅するコロニアル・ディスクール
――明治日本の植民出世と朝鮮表象の系譜学
 
第2章 殖民イデオロギーと国民像の改革
    ――日露戦争後における海外雄飛の文化政治学
第3章 健全な青年と地方像の創出
    ――自然主義現象と語られる青年文化
第?部 越境する文学とジャンル交渉
   
第4章  従軍文士の渡韓見聞録
    ――日清・日露戦争期の朝鮮像と与謝野鉄幹「観戦詩人」
第5章  写生される朝鮮、揺らぐ観察者の眼差し
    ――高浜虚子『朝鮮』のトラヴェル・ライティング
第6章  地方農村と植民地の境界
――中西伊之助『赭土に芽ぐむもの』と農民文学のディスクール
第?部 文学の振興と多分化主義

第7章 地方としての朝鮮、上京する作家
     ――朝鮮人日本語作家・張赫宙の誕生
第8章 文芸復興期の植民地文学
     ――宗主国文壇の多文化主義
第9章 民主主義と在日コリアン文学の懸隔
    ――金達寿と『民主朝鮮』をめぐる戦後の〈朝鮮〉表象
終章  悔恨の逆説
    ――在朝日本人の一九四五年八月十五日

まず序章では、本書が企図していることが、歴史的研究ではなく、「文化誌的研究」であることが明確にされている。氏の言葉を借りれば、それは「朝鮮」という記号をめぐって繰り広げられた知的営為や人やモノの移動。そのような日本近代の文化闘争の一端」*3を明らかにするための戦略だと定義づけることが可能だろう。つまり氏によれば、〈朝鮮〉とは日本人が自ら投影した自画像なのである。この〈朝鮮〉というネガを辿り直すことで見えてくる、「近代日本」における帝国主義的言説はいかに形成されたのか、そして、〈朝鮮〉はいかなる「他者」として描かれるのか。その素材として、「文学」というフィールドを中心に、一連の問いが積み重ねられていくのが、本書の視座であり方法である。

第?部では、主に明治期における〈朝鮮〉表象及び「日本」の自己形成と、そのディスクールの波及という視点から捉えられている。まず指摘されているのは、もはや常識なのかもしれないが、西洋的知の移植による「文明開化」のディスクールがもたらした、〈朝鮮〉表象の有様である。本書の中では、「文明/半開/野蛮」という地政学的な紋切り型の構図が内面化される過程を追いながら、日清戦争以前は、〈日本〉を「半開」とし、〈朝鮮〉を「野蛮」と看做すことで、「文明国」への階梯を性急に登ろうとしながら、自らのマイナス・イメージを、「他者」としての〈朝鮮〉に転化して植え付けていく過程を検討している。さらに、柴四郎『佳人之奇遇』・服部徹『小説東学党』などの明治期の小説類を検討し、これらの小説群の物語内容が、そのまま〈朝鮮〉への政治的言及を直載的に表していることを指摘した上で、「朝鮮を善導する日本」という図式が、イデオロギー的に構成されることを論じている。次に「雄飛する青年たち」に着目しながら、「殖民事業」によって編まれた様々な旅行書・パンフレット類などを分析し、〈朝鮮〉が次第に「青年」たちの就職市場のトポスとなり、〈朝鮮〉に関する見聞が広められることで、〈朝鮮〉への「恐怖」という記号を埋め込んでいく時代としての日露戦後を描いている。

第?部では、〈朝鮮〉を描いた小説三篇を中心に検討が行われ、戦争文学・旅行小説・農民文学の三つのジャンル的意義に即しながら、〈朝鮮〉というトポスがどのように表象されていくのかを論じている。まず著者は与謝野鉄幹『観戦詩人』のテーマは、「戦争」ではなく、むしろ「日本=男性性/朝鮮=女性性」というメタファーを軸にして、男女の関係を三角関係になぞらえながら、物語構造を通して地政学的な言及を行っていることを指摘している。もちろん登場する「男性」は〈日本人〉であり、美しく高貴な〈朝鮮人女性〉を奪い合うというプロットは、まさしく「支配する宗主国/支配を受ける植民地」の構図を如実に示しているが、この図式はさらに、従軍文士のルポルタージュなどを通して物語化され、強固なイメージを作り上げていくのである。個人的に興味深かったのは、高浜虚子『朝鮮』とその「写生主義」が持つイデオロギー的共犯関係に関する言及だった。無論、「写生主義」とは、「ありのままの現実を客観的に写し出す」ことをテーゼとした、ある種の文学的立場であるが、問題は「ありのまま」に描き出される〈朝鮮〉が、いかなる容貌で描写されるのか、という点にある。高浜虚子が遂行した作業とは、日韓併合期の〈朝鮮〉をあくまでも、その「風俗」や「文化」を網羅的に羅列するエキゾティックな視線によって支配された活写にこそある。つまり、虚子は〈朝鮮〉の「ありのままの姿」を描写し、刻印する「観光者」として、〈朝鮮〉を眺めているのだ。その意味において、「写生主義」は、徹底的に「観光主義」的言説によって彩られた〈朝鮮〉を浮かび上がらせるような契機を作ったことが論述されている。さらに第?部では、「農民文学」のディスクールについても検討がなされ、とりわけ中西伊之助という作家について分析を加えている。第一次世界大戦期を通して、「新領土」として認知されるようになった〈朝鮮〉の農民と「日本人」の農民表象が重なり合う形で語られていく過程を論証しながら、「農民文学」が、植民地と地方とが越境して「農民」という社会的階級のカテゴリーが成立し、そこには植民地主義に対する批判的視点を内在化させていたことを好意的に叙述している。

第?部は、1930年代から敗戦後に至るまでの時期における〈朝鮮日本語作家〉たちの動向に焦点を絞りながら論じている。その論述は、まず張赫宙「餓鬼道」の『改造』懸賞小説当選から、書き起こしている。張赫宙の文壇デビューは、確かに新たな契機となった。というのも、それは本格的に「日本語」で書く朝鮮人作家の誕生だったからである。それはまた、新たな文学的素材として〈朝鮮〉が受け入れられたことを意味している。だが「餓鬼道」は、むしろ小説ではなく、ある種の「朝鮮レポート」として受け止められてしまう。その理由を氏は『改造』によるメディア戦略を分析しながら、典型的な〈朝鮮〉像としての「怠惰な朝鮮」という紋切り型のイメージを補完しあう関係を、張赫宙の意図するところとは別に、この小説は作り上げたことを検証している。この張赫宙の文壇デビューは、彼が「日本語」で〈書く〉という行為を通して、より〈朝鮮〉を「地方」として拘束させる力学を働かせることになった。そして張赫宙以降の朝鮮人作家は、文化の中心地としての、「東京=中央」へ上京する志向性を抱くようになったことも合わせて言及している。また、1930年代において、宗主国に次々と集ってくる植民地出身の作家たちに照明を当て、彼らを呼び寄せたのは、衰退を辿っていたプロレタリア作家たちであったことを述べている。彼らの目論見は、植民地作家たちによる「植民地文学」を新たなジャンルとして確立することで、プロレタリア文学の優位性を示すことであった。「植民地文学」を、文学的ヒエラルヒーにおける下位ジャンルに置くことで、プロレタリア作家たちは、植民地作家の居場所を与えたことを言及している。そして視点は敗戦後に移り、在日コリアン文学の生成を、『民主朝鮮』と金達寿の文学活動から分析を加え、「民主主義」の理念とそれを代弁する人々としての「在日」を、左翼系知識人・作家たちが見出していく過程について論じている。とりわけ金達寿の著作活動に着目し、彼の左翼系知識人たちと「連帯」する「在日コリアン文学」の方向性を打ち出しながらも、「日本人/朝鮮人」という二分法では収斂しないような文学的営為のありようを模索している。そして終章では、一九四五年八月一五日という〈出来事〉をめぐって、引揚者の「蛍の光」への記憶とを重ね合わせながら論じている。ここで評者が驚いたのは、「蛍の光」には隠された事実として、「領地拡張」に伴いながら、第三節・第四節があって初めて成立する歌であったという指摘である。一方で「蛍の光」は〈朝鮮〉では「光復(광복)」を象徴する歌であり、後に大韓民国の国歌となる「愛国歌(애국가)」の元となる歌としてあった。そして、「蛍の光」は、引揚者にとっては、「懐かしき朝鮮」を表象するメロディとして、あるいは悔恨の逆説を表す歌として存在していたことを検討して、本書を閉じている。

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まず断っておかなければならないが、評者は日韓比較文学の専門家ではないため、本書における研究史上の意義や位置付けを出来るほどの力量はない。それゆえに、以下に述べることは専門家からすれば、当を得ないものとなっているかもしれない。そのことは自覚しているつもりである。

本書を初めて読んだのは、「冬ソナ」現象がピークを迎えた時であった。雪景色に覆われた並木道。「不可能な家」とその背景に映える透き通った海。そして「純愛」を軸にした物語設定。これらは今までの「韓国」のイメージを払拭させるほどのインパクトがあったことは確かであり、そのような美しい物語と風景が「郷愁」を醸し出したこともまた否定できない。しかしながら、本書を読んで思ったのは、「韓流」ブームというのは突発的な現象ではなく、実は「日本」が明治以来次第に形成していく〈朝鮮〉をめぐる文化的記憶の歴史性が刻印された現象としてあったのではないか、ということだ。いうまでもなく、そこで記号化されるのは、「郷愁」であり、「純愛」というコードである。記号化された像は、再び〈朝鮮〉を蘇らせ、一見新鮮味があるようで、その内実は使い古されたイメージの再生産にしかすぎない。その意味で、やや穿った見方になるかもしれないが、「冬のソナタをたどるツアー―あの感動をもう一度!」などというフレコミで、春川を訪れる日本人観光客は、「観光主義」的なエキゾティックな気分と感性で、韓国を旅行しているだけといえるのかもしれない。評者は概ね本書を好意的に受け止めたが、本書が告発しているのは、「日帝時代(일제시대)」という時代が、〈朝鮮〉に植え付けた像がいかに均質でステレオタイプ化されたものであったのか、ということだろう。言い換えれば、「差別する宗主国/差別される植民地」という図式を、より強固にしていった過程として、「日帝時代」は残存しているのだ。「韓流」や「ヨン様」に対する違和感は、そのような歴史性を無化した形で、韓国ドラマや映画が、「文化商品」として梱包されて流通するところにあるのだが、それと同様に反動としての「嫌韓流」にしても、これまでの韓半島をめぐる歴史性を全く無視したアジテーションでしかないということだ。そこには「対話」さえ存在しない。評者の最近の日韓をめぐる現状に対する憤りの所在はそのようなところにある。だからこそ、ナショナリズムに拘泥しないような形での相互の問いかけが必要なのではなかろうか。

由熙は小川の方に目を落とした。その口の中で、言葉にならない言葉がうごめいているのが感じられた。
  ――ことばの杖。
  ――……………。
  ――ことばの杖を、目醒めた瞬間に掴めるかどうか、試されているような気がする。
  ――아なのか、それとも、あ、なのか。아であれば、아、야、어、여、と続いていく杖を掴むの。でも、あ、であれば、あ、い、う、え、おと続いていく杖。けれども、아、なのか、あ、なのかすっきりとわかった日がない。ずっとそう。ますますわからなくなっていく。杖が掴めない。
  由熙はことばの杖とも言い、ことばからなる杖、とも言い換えた。
  その声が、いまでもありありと、瞼に映る由熙の表情とともに思い返された。*4

由熙と「わたし」のなかにあった「遠さ」は、絶えず〈ことば〉による裏切りであり続けてきたわけだが、由熙の「ことばの杖」は、ハングルの“아”と日本語の“あ”が重なり合いながらも、言葉にならない〈声〉を発している。これから「私たち」が志向すべき問題は、「日本か朝鮮か」という同一性のポリティクスに基づいた二分法ではまずないだろう。より深く切実な部分で、「ことばの杖」を掴み損ないながらも、やはり〈ことば〉を紡ぎ縫い合わせていくしかない。もし、「私たち」が形成した暴力的な〈朝鮮〉像を解体し、新たな関係を構築していくとするならば、それは由熙のように、掴み損ね続ける「ことばの杖」の中にこそ、その可能性があるのかもしれない。

(『日本思想史研究会会報』23号、2005年。p75-p82)

文責:岩根卓史

*1:李良枝『由熙/ナビ・タリョン』講談社文芸文庫、1997年。p309〜p312

*2:同、p313

*3:中根隆行『〈朝鮮〉表象の文化誌』新曜社、2004年。p18

*4:李良枝前掲書、p360