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 安田敏朗『国文学の時空―久松潜一と日本文化論』

国文学の時空―久松潜一と日本文化論

国文学の時空―久松潜一と日本文化論

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90年代以降、国民国家論やカルチュラル・スタディーズ、ポスト・コロニアルやジェンダー論といった横文字の思想潮流の影響を日本の学界は受け、冷戦構造下における二項対立的な世界秩序の中では、表舞台に上がることがなかった問題が取り上げられるようになり、近代を強固に支えてきた「国民」概念は問い直されるようになった。そして「国民」を構成する役割を担ってきた「近代知」批判を目的とした書物が書店の店頭に並ぶようになって、もう随分たっている。

「日本人の美意識」や「日本人の精神」とは、一体いかなる性質を持つものであるのか。このような問いは、近代以降つねに「問題」として繰り返されてきた。そのような疑問に対して、「日本人の精神」を言説上に構成し、それにある一つの解答を与え、そしてその「国民性」をあたかも現前されたものとして語ることを期待された、というよりも、自らが新たに「国民」を創出することを積極的に遂行した学問の一つに「国文学」が挙げられるだろう。

「国文学」という学問は、「近世国学」の伝統を継承しているという自負(この自負はみずからがそう〈名のり出る〉ことで成立するのだが)を伴いながら出現したものであり、近代の国文学者たちは「日本精神」をめぐって、様々な解釈を行ってきた。例えば、ある学者は「日本人の美意識」について、「もののあはれ」や「みやび」と表現し、平安王朝的な解釈を施し、またある学者は「わび」や「幽玄」という概念で説明し、別の学者は「ますらをぶり」という万葉主義的理解を称揚するというように。そして、このような「日本人の精神」をめぐる問いは、現在でも繰り返し行われていることはいうまでもないだろう。

しかし先ほど述べたとおり、近年では「国民」概念を再生産してきた諸々の「学知」に対する批判が行われているのだが、その「国民精神」のあり方をめぐる議論の中心的役割を果たしてきた「国文学」についても、「民俗学」や「国語学」などと同様に、その欺瞞性が告発されていることは注目すべきだろう。

このような問題をめぐる見直しを精力的に行っている研究者として、安田敏朗氏の名前が挙げられるだろう。氏は、『植民地のなかの「国語学」』や『〈国語〉と〈方言〉のあいだ』などで、「国語学」という「近世国学」の継承を自負してきた「学知」が、植民地期朝鮮のなかでいかに「国語の時間」を定着させ、「国語」を植民地支配の道具として利用したのか、ということを主題にし、「国語学」における「戦後責任」の不徹底さを追及してきた。

その氏の近著が本書である。本書は、「近代知」における「戦後責任」をめぐる「国文学」版ともいえるだろうか。また副題に示されているように、本書には主人公が存在する。それは、芳賀矢一佐佐木信綱以後の「国文学」のリーダー的役割を果たした、久松潜一(1894〜1976)である。本書は彼の戦前・戦中・戦後のなかでの発言を検討することで、戦前に久松が構築した「日本文化論」のどの部分が戦後に〈継承〉され、何が〈削除〉されたのか、という問題について明らかにすることを試みた、氏による「三部作」最後の著書である。

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本書は次のような構成を立てている。
序章   本書のねらい
第一章  国文学はいかように敗戦をのりこえようとしたのか
  1 のりこえ方
  2具体相としての久松潜一
第二章  戦中期の言説
  1 「今に徹する」国文学
  2 「国学」の一貫性
  3 「普遍性」の問題
第三章  時間的整序
  1 「あたらしい国文学」の誕生
  2 統一体としての日本文学
  3 統一される「精神」
  4 「日本文学評論史」の構造
  5日本精神の構成
  6 「心と詞」の調和をめぐって
第四章  空間的整序
   1 『風土』との出会い
   2 「歴史・風土・文学」
   3 「日本の風土と文学」
   4 「文学地理学の構想」
   5 同時期の文学風土論
第五章  文学と国民性
   1 『国体の本義』
   2 『我が風土・国民性と文学』の構成
   3 「国民性」を論じること
第六章  継承関係
  1 分割継承
  2 削除・書きかえ・かわらぬもの
  3 風土論の継承をめぐって
終章  日本文化論の語り方
 
次に各章のおおまかな内容について述べてみたい。
 
まず序章では、氏がこれまで研究対象にしてきた「国語学」と「国文学」との性格の相違について指摘している。それは言語と文学との根本的な言語作用の相違なのだが、それを簡潔にいえば、扶植可能性の有無である。つまり、言語にはたとえ使用する母語が違う人でも、外国語を学習と訓練により獲得できる可能性が存在する。その扶植可能性の前提こそ、大日本帝国が「領土拡大」を行う上で、不可欠な要素であった「国語の時間」を陰で支えたのである。しかし、「国文学」を問う場合には、「国語学」のような植民地支配の責任を問えないというのが、本書での主張である。なぜなら、「日本国民」ではない植民地の人々が、「国語」を使用して詩や小説を書いても、「国文学」の範疇に入らないからだという。むしろ「国文学」の側がそれを拒絶するだろうと述べる。故に「国文学」が前提とするのは、日本国籍=日本民族によって担われる「国文学」だけなのだ。本書は、「国文学」を分析する時には、「国文学」が構築した論理構造自体を問い直す必要性があると主張する。
 
第一章では、「国文学」における敗戦の「のりこえ方」を検討している。まず、西郷信綱による敗戦後の発言を参照にしつつ、「国文学」の「民主的再生」をめざした日本文学協会が、戦前も敗戦後も「天皇の大詔」に従うのが、「国文学のもつ性質上自然のこと」と考える藤村作を会長に推さざるを得なかったところに、「決定的悲惨」があったことを提示する。それは詰まるところ、「国文学」がいかに「再生」することがなかったのか、という問いである。それは「国文学」だけではなく、様々な文脈で語られる「国民性」という「形而上学的概念」(西郷信綱)への批判であることはいうまでもない。第二章以降は、具体的に久松潜一の言説を取り上げ、「国文学」が構築されていく過程と、その論理構造を検証していく。
 
第二章は、久松の戦中期の発言を追及し、時局の対応をめぐる問題が論じられている。久松は1930年代に入ると、文部省主導で行われた「教学刷新」体制に積極的に関与し、そのいくつかの中心的機関の要職に就いていたことを明らかにする。その要職とは、国民精神文化研究所研究嘱託や、日本諸学振興委員会国語国文学臨時委員、日本文学報国会国文学部会会長などである。この経歴からもわかるように、久松は時局に迎合した知識人の一人であった。そしてその論理構造を詳細に分析し、「皇国」の学問の果たす役割を「今に徹する」ことで報国の義務を果たすことに求め、「日本的立場」に立つ総合的な学問としての「日本学」(新国学)を構築することで、新たな「文化運動」を起こし、さらに「日本精神」の「普遍性」を主張することにより、仮構物としての「大東亜共栄圏」を包括する意味での「国文学」を立ち上げようとしたことを論述している。
 
第三章は、久松が叙述する日本文学史・日本文学評論史を見ることで、その「日本精神」の見出し方の過程が捉えられている。まず久松の「文学史」の記述には、芳賀矢一・立花銑三郎が著した『国文学読本』の影響が見られることを指摘する。それを受けながら、久松が独自の「国文学史」を構築していく過程を主に時間的整序の側面から検討している。それはまた「国民の精神」の〈発見〉がなされていく過程でもあるのだ。久松は、「文学」における重要な三つの「精神」、つまり「まこと」・「もののあはれ」・「幽玄」を各々の時代思潮として抽出することで、その「時間」を、「まこと」→「もののあはれ」→「幽玄」という形で整序を行うのである。さらに久松が主張する日本精神論・日本文化論にまで拡大することで、この三つの「精神」の規範化が行われたことを提示した。
 
では、「国文学」は自らのテリトリーで「日本という空間」をどのように考えたのだろうか。第四章では、久松における「日本」という空間の整序の問題が分析されている。
 
久松が「空間」の問題について意識したのは、ヨーロッパ留学と和辻哲郎の『風土』との出会いが契機になっていることを論じている。そして『風土』との関連で著された諸論文を検討し、久松が叙述する「国文学史」には時間軸だけではなく、空間軸が時間軸に投影された記述へと変化していくことを明らかにする。つまり、久松は「文学」に「風土性」を加味することで、「素朴な山間文学」(古代)→「円みのある河畔・湖畔文学」(平安時代)→「孤高の精神を基調とする山の文学」(中世)→「川を背景とする水辺の文学」(近世)→「山間文学と海洋文学」(近代)という時代の類型化を計ろうとしたことが簡潔に検証されている。
 第五章は、三・四章で検討された時間と空間の整序を経て記述された一つのテクストをめぐり、久松において統一された「国文学」像とは何か、という問題を主題にしている。それは『我が風土・国民性と文学』という、『国体の本義解説叢書』の一冊として上梓されたテクストである。
 
その内容とは、『国体の本義』を忠実に継承しながら、「日本」の風土と歴史を「国民性」と結びつけ、「調和された情理」という「国民的性格」や、「美的特質」としての「まこと」の精神が説かれる。そして「敬神」・「忠君愛国」・「家の尊重」・「没我帰一と包容同化」などの「日本文化論」では、すでにステレオタイプ化された議論を繰り返すことで、全体が調和された共同体としての「日本」を時局に合わせながら表象していく過程が分析されている。
 第六章は、ふたたび「のりこえ方」をめぐり、敗戦後における久松のテクストは、何が継承され、何が削除されたのか、という問題が検討されている。ありていにいえば、久松は戦時中に構想した文学風土論を残し、都合が悪くなった皇国イデオロギーの部分を削除した。そのような不変のものとしての「風土」と「国民性」を連関させて議論のあり方に対する批判を提起して、本書を閉じる。

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ごくおおまかに本書の内容について振りかえってみたが、率直な感想を含めた形で、本書に対するいくつかの疑問点を呈してみたい。
 
私が本書を読んで抱いた読後感とは次のようなものであった。どこか平板な本だな、と。確かに、「国文学」と「国語学」の持つ根本的な性格の相違を指摘した部分では、首肯したし、自分が詳しくなかった国民精神文化研究所に関しての知識については、色々なことを学んだような気がする。また、氏の「国文学」における「戦後責任」のあり方を姿勢が間違っているとも思われない。しかしながら、良い意味でも悪い意味でも「国民国家」論の影響を受けてきた世代に属している筆者にとっては、本書において、「国文学」による「日本文化論」の言説構造を精緻に分析するだけでは、やはり消化不良に陥ってしまうのである。
 このような自身の感想と本書に対する疑問点は、自分の中では直結しているように思われるのだが、おそらく次の二点があげられるだろう。まず一点目は、本書が選択した方法論の有効性から来るものであり、二点目は、「国文学」が行った「国民性」の構築という問題を、すべて久松潜一だけに負わせることの是非についてである。
 
まず一点目の疑問についてだが、氏は本書を通して内在的な視点から、「国文学」の問題を記述していることは本書を読めばわかることである。しかし、とあえて言いたい。確かに「国文学」が何を構築し、一体何を記述しようとしたのか、ということを俎上に置く場合には、その論理構造やイデオロギー性を告発するという意味において、内在的方法はきわめて有効に働くであろう。いうまでもなく、氏が選択した戦略的立場はそのことを目的としている。とはいえ、テクストを内在的に〈解読〉することでは見えなくなる問題もある。例えば、「国文学」の言説が実際の社会でどのように受容されてきたのかという問題などである。氏は単に『国体の本義』の影響力のみで説明しようとしているが、もう少し突っ込んだ議論も必要だったのではないかと思う。
 
二つ目の疑問は、久松潜一の位置付けに関するものである。久松については、本書で詳述されているからその繰り返しになるが、戦時期において皇国イデオロギーのプロパガンダとして、また当時の「国文学」をリードする研究者であった。だが、久松の言説を追うことのみで、果たして「国文学」による敗戦の「のりこえ方」が全て明らかになるだろうか。確かに久松は「もののあはれ」や「まこと」の精神を、「国文学史」という時間軸のなかで説明し、さらに「風土」概念を取り入れることで、所与物としての「国文学」を構築したことは本書の通りであろう。では、久松に代表される文献学的国文学の研究者だけでなく、そのアンチテーゼとして出現した「日本文芸学派」や、「歴史社会学派」と呼ばれる研究者たちの、敗戦の「のりこえ方」はどのようなものであったか、という疑問も生じてくる。その意味でいえば、当該期における「国文学」アカデミズム内部の主張や姿勢に対する温度差を論じてもよかったのではないか。

私は「日本語」を話し、その〈実感〉を感じている人間である。しかしそのように自らが抱くネイション的感性に向き合うことでしか、自身の中に浸透するナショナリズムを無化できないのではなかろうか。その時に初めて、「国文学」が与える〈実感〉を批判的に考えられる日がくるかもしれない。そのためにも真摯にネイション的感性に向き合う姿勢が必要ではないか。以上のように本書を通して考えたことを述べることで、本稿をとじたい。

(『日本思想史研究会会報』 20号、 pp.420〜425)

文責:岩根卓史