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 バトラー.J『自分自身を説明すること』(4)

バトラー

確かに私たちは、まだ自分の物語を語ることができるし、まさしくそうしなければならない多くの理由が存在するだろう。しかし、ある語りの構造をそなえた完全な説明を行おうとするとき、私たちはそれほど権威的であることはできないだろう。「私」は、自分がその場に居あわせることのできなかった物事のなりゆき――つまり、一連の起源を知り、構築しうる主体として自分自身が出現する以前の物事のなりゆきであるが、そのような起源は、権威的知を犠牲にしてのみ語りことができる――を証明することなしには、自分の出現の物語を語ることも、自分自身の可能性の条件を語ることもできない。……もとの指示対象を回復することができないからといって、語りは破壊されない。その回復不可能性は「虚構の方向に」――とラカンなら言うだろう――語りを作り出す。だからより正確には、私は自分の起源の物語を語ることができる、と言うべきだろうし、それを繰り返し、いくつもの仕方で語ることさえできる。しかし、私が語る自分の起源の物語は、私を説明してくれるものではないし、私の説明可能性を確立してくれるものでもない。(p66-p67)