ヤング.J『排除型社会』(4)

第4章「他者を本質化する」より。

私は、後期近代社会が深刻な存在論的問題を抱えていることを指摘した。もはや人々は、家庭生活と労働からなる安定した枠組みから、自己を「脱埋め込み」せざるをえなくなった。また、世界は確実性を失い、多様な選択肢が人々の目の前に広がるようになった。さらに、疑念と不安が周囲の事物だけではなく、自分自身にまで向けられるようになった――これらすべての変化が、物質的にも存在論的にも不安定な状態をつくりだしている。……しかし、そこにみられる不安や恐怖が、犯罪をはじめとする社会問題が引き起こすさまざまな社会的困難に由来していることはここで指摘しておくべきだろう。これらの不安は現実から遊離した幻想などではないのだ。恐怖心が別の姿をとり、他者に投影されることは珍しいことではないが、多元性と差異からなる世界では、そうした投影は逸脱した他者に向かう。その他者は、実際の犯罪者である場合もあれば、法律に従っていてもどこか逸脱していると思われるような文化に属する人々の場合もある。つまり、投影しやすい相手であれば誰でもかまわないのである。(p246)