平野嘉彦『ツェラーンもしくは狂気のフローラ』(2)

ツェラーンは、ブレーメン文学賞の受賞講演(一九五八)のなかでプコヴィーナのことを、「人々と書物が生きていた土地」と呼んでいた。「人々が生きていた」のはともかくとして、「書物」が「生きていた」とは、どういう意味だろうか。「書物、本(Buch)」の語源は、「ブナ(Buche)」である。それは紙が発明される以前に、「ブナ」の木版を書字にもちいたという事実に起因している。樹木が、たとえば「ブナ」の木が、「生きている」という意味では、畢竟、「書物」は、紙に書かれた文字は死んでいるだろう。それでも「書物」が「生きていた」とすれば、それは、植物さながら生いたってきた地域と、土地と、どのように結びついていたのだろうか。それとも、もはや結びついてなど、いなかったのか。(p55)