大宮勘一郎『ベンヤミンの通行路』(6)

制作と廃物といえば、ロマン主義における廃墟の美学が念頭に浮かびそうである。これは感傷へと形を変えて今でも残存する美意識かもしれないが、これを例えばWTC跡に当てはまるのは不謹慎というより先に、時代錯誤(一掃されてしまったが)も此方のうずたかい廃物も、失われた全体を意味し続ける部分としての「廃墟」の語が暗に含む「部分と全体の照応」という美学的でもあり歴史哲学的でもある構図とは、既に遠くかけ離れている何かなのである。近代建築に「部分」の固有性を探し求めてもおよそ無駄であろう。(p167)