大宮勘一郎『ベンヤミンの通行路』(3)

手稿には何が残されるのか。試し書き、取捨選択以前の様々な素材のメモや抜粋、書き損じ、付言、削除、落書き、乱れ中断され、あるいは執拗に繰り返される言葉やその断片、逆に決して書かれぬ言葉、滲みや擦れ、つまりは冗長や不足さらには無意味――入り乱れたこれらが整除されてゆくのは、もちろん「書くこと」の固有の過程でもある。しかし、これらなしには、そもそも「書くこと」もありえない。「書物」から拭い去られるのは、「書くこと」においてはまだ痕跡を留めている。この整除と操作の手続きなのである。この手続き自体を忘れないことには、つまり、そのような手続きが踏まれた痕跡を消してしまわないことには、「書物」は「私の作品」として完成しえない。しかし、そのような「完成」とは、裏返せば「制限」なのではないか。(p62)