ガタリ.F『分裂分析的地図作成法』(2)

いまやわれわれは、ジャン=フランソワ・リオタールがポストモダンの条件と呼ぶものの中心にはいない。私は、リオタールとは異なり、ポストモダンの条件とはあらゆる服従のパラダイム、現行の状態とのあらゆる妥協のパラダイムであると考えている。リオタールが正当化の大きな物語と呼ぶもの(たとえば啓蒙思想の言説や、世界精神の実現についてのヘーゲルの言説、労働者の解放についてのマルクス主義者の言説)が崩壊してしまったので、続けて彼の考えに従うならば、統一的な社会行動へのいかなる意志も信じてはならない。コンセンサスが持つあらゆる価値が通用しなくなり、疑わしいものになったのだ、と彼は説明する。ただ正当化の小さな物語のみが、言い換えれば、多種多様で異質で、その運用性が時間的・空間的に制限された場合にのみ存在しうる《言語粒子のご用論》だけが、正義と自由との何らかの価値をまだ救うことができる。……リオタール――この「ソシアリスム・ウ・バルバリ」という左翼雑誌以前の中心人物――が破局から救い出すことができたただひとつのキッチュな合言葉は、情報やデータバンクを自由に閲覧する権利だけである。(pp66-pp67)