桑野隆『未完のポリフォニー』(1)

バフチンのいう〈対話〉は、円満な「妥結」を図ったり、最終的な「解答」を導きだそうとするものではない。バフチン自身、この〈対話〉を〈論争〉とか〈闘い〉といいかえることがある。むろん、〈対話〉とは、相手の独自性を認めつつも共同性をめざして、相手を了解せんとする行為であるわけだが、ただしそのさい、「了解しようとする者は、自己がすでに抱いていた見解や立場を変える、あるいは放棄すらもする可能性を排除してはならない。了解行為にあっては闘いが生ずるのであり、その結果、相互が変化し、豊穣化するのである」、とバフチンはいう。わたしたちとしては、こういった〈対話〉という〈生成の場〉における――相互が豊穣化しうる――論争的な側面が重視されていることに、まずは注目しておきたい。(p11-p12)