ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(5)

『アンチ・オイディプス』では、国家は、国家が規範化と調整を幇助する社会的行為の領域を監視し続ける一種の集合的超自我として描かれる。国家に管理された主体は、今や労働の疎外に、すなわち、つねにあるべきところにない[という地位を与えられた]去勢された欲望の対象の終わりなき追求によって動機化された労働と結びつくようになる。労働の資本制的組織化、国家の超越的組織化、社会野を横断する家族の役割の隠喩的配分、精神分析による欲望の解釈、これら全てがここで、現実を抑圧的に媒介するための同じ一つの機構の諸相として現れる。オイディプスは、それを通してこれら様々な超越性の形式が、単一にして重層的に決定された「捕獲装置」として結集する装置である。オイディプスとは、心理学的内在性を外在的な社会的権威に結びつけるものである。欲望の去勢と国家の超越的な超コード化を通して、個体は二重に主体化される。(p153-p154)