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 『ポストフォーディズムの資本主義』(3)

さまざまな世界内経験においてつねに〈空虚〉の感覚が浮かび上がります。この「空虚」は、細部まで一貫した環境の不在に他なりません。したがって、いわゆる筆舌に尽くしがたい「精神的」なものではないのです。むしろ非常に生物学的な「空虚」です。空虚はまた潜在性でもあります。そしてわたしたちは、潜在的な存在もしくは環境をもたない存在であるかぎりにおいて、たとえば歴史的時間といったものを知ることができるのです。少し考えてみれば分かるように、潜在的なものは不在であり、非=在です(その反対に、活動中つまりアクトであれば、まさにアクチュアル、顕在します)。潜在力は「今でない」を意味し、活動は「今」を意味します。人間に固有な時間の感覚は、空虚と充満、不在と現在、潜在性と顕在性、「今でない」と「今」との絶えざる交差から生じます。もし環境をもつのであれば永遠の現在のもとにあるわけで、歴史と呼べるような時間は存在しないでしょう。ですが世界をもつがゆえに、人間動物は「今でない」つまり不在を経験し、その「今でない」を潜在力のかたちで経験するのです。(p73)