デ・リーヴス.H『暴力と証し』(4)

キルケゴールの論理である〈知性の供犠〉とは、殉教の死という〈知性の供犠〉、〈自らに(ある種の)死を与えること〉という〈知性の供犠〉である。同様に、絶望、証し、殉教は、直接的に、〈死〉や〈死に至る病〉に関係しており、その療法は信仰の中に(あるいは信仰を通過することに)のみ存在する。この療法は大いに逆説的である。療法の持っている二つの矛盾する側面の間の内的緊張は、人間の実存のドラマを作り上げている。

一方では、信仰は絶望の反対物であり、一種の恒常性=安定constracyないし均衡状態である。「絶望がまったく根こそぎにされた際の自己の状態を記述する定式は次のようなものである。自己自身に関係し、自己自身であろうと欲することにおいて、自己は、自己を確立した力のうちに透明に基づいている。(『死に至る病』)」(p125)