デ・ヴリース.H 『暴力と証し』(3)

キルケゴールは次のことを明確にする。この不条理、この「可能的なもの」は、「悟性に固有な領域の中にある諸々の区別に馴染むものではない。この不条理は、ありそうにないこと、予期されざるもの、不測のことといったことどもと同一ではないのである」。それにもかかわらず悟性は、有限で時間的なものの領域において、不可能なこと、思考不能なことについて、絶えず省察を行う。信仰の「証し」が、真正な証し、本当の意味での証しであるのは、それが、〈倫理的諸要求を侵犯し、それらの彼方に赴き、それらを背後に残して去るべし〉という絶対的命令だけではなく、この可視的な秩序の必然性をも、その秩序が持つ倫理的要求の正統性をも――まさに同じ瞬間に――承認するかぎりでのみなのである。(p104-p105)