デ・ヴリース.H 『暴力と証し』(2)

それではわれわれは、どこから暴力が始まり、滞留し、終わるのか、そして暴力がまさに何に(あるいは誰に)向けられているのかということを正確に知っているのだろうか。それはカント的意味での〈理性の事実Faktum〉なのであろうか。それは例えば「生の事実」や「精神生活」の事実とさえ同じであるというのだろうか。もし暴力が、物理的、心理学的、政治的、植民地的、構造的、土着的、性的、言語暴力としての特殊性を失うようにみえるとしたら、われわれは、暴力を止め、暴力の停止を刻印するものであろうものについての真の認識を持っているだろうか。(p63-p64)