スピノザ.B.D『スピノザ往復書簡集』(2)

「書簡十二 スピノザからロデウェイク・マイエルへ」より。

実体に関して私の注意したいのは、次のことです。第一に、実体の本質には存在が属すること、換言すれば実体の本質と定義だけからして実体の存在することが帰結されることです。・・・・・・それから私は、実体の状態(アフェクチオ)を様態(モードス)と呼びます。様態の定義は、実体の定義とわけが違って、何らの存在を含むことができません。ですから様態は、たとえ存在していても、我々はそれを存在しないものとして考えることが出来ます。これからさらに帰結されるのは、様態の本質だけを眼中に置いて然自然の秩序を眼中に置かない限り、我々は、様態が今存在しているからという理由でそれが未来においても存在するだろうとか存在しないだろうとか、或いは過去においても存在していたとか存在していなかったとか結論することが出来ないということです。これから、実体の存在は様態の存在と全然異なって考えねばならぬことが明白になります。そしてここから、永遠と持続の相違が生じます。即ち我々は、持続の概念の下に様態の存在のみを説明し得るのであり、これに反して、実体の存在は永遠の概念の下にのみ、換言すれば存在の、或いは――古典的なラテン語ではありませんが――essendi〔有〕の、無限なる享受という概念の下にのみ説明され得るのです。(p62)