『スピノザ入門』(4)

『エチカ』の末尾で論じられている永遠性の経験とは、決して、霊的かつ禁欲的な道程の終着点として与えられているのではない。むしろ逆にそれは出発点である。なぜならそれは、あらゆる経験と同じく、万人に共有されているからである。そのかわり、認識の道程は、最終的には、この〔永遠性の〕経験によってはわからない諸原因を知らしめる。認識種類の相違に関していえば、第二種の認識はけっして第三種の認識はけっして、理性を放棄して何かよくわからない非合理的な融合へと飛びつくこともできない。第二種の認識と直観知による認識とのあいだには断絶が存在しないのである。それらは、対象が異なっているに過ぎず、確実性の程度が異なっているのではない。それらは両者とも、すでに見たように、同程度に論証的なのである。(p138)