西山雄二『異議申し立てとしての文学』(3)

通常ならば、「友愛とは何か?」に答えるためには、「友とは誰か?」と問わなければならない。友と出会い、交流を重ねることで初めて、友情が具体的に感じられるようになるからだ。しかし、その順序とは裏腹に、友愛に先立つはずの友の具体的な形姿や現実的な交友関係は、ブランショの友愛の最中では消失してしまうかのようである。自己同一性を備えているはずの唯一の〈私〉は、この友愛の最中において、「不確定なる一個の「誰?」という未知にしてとらえどころのない存在」と化し、すでに他者性を帯びているのである。それはもはや具体的な友の形象さえ消失した後に現出することになる、個々の実存を構成する非人称的な位相へと差し向けられた思考の軌跡であるだろう。(p133)