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 西山雄二『異議申し立てとしての文学』(2)

ブランショはこうしたハイデガーの議論を念頭に置きながら、死の出来事が孕む二重性を強調する。ブランショによれば、たしかに一方で、「能力の極限としての、私のもっとも固有な可能性としての死」がある。生から死への移行は〈私〉にとって、決定的な出来事として経験されるだろう。しかし同時に、〈私〉はひとつの可能性として「私の死」に到達することができないとも言える。というのも、〈私〉は死ぬまさにその瞬間に、「私の死」を経験する〈私〉は死ぬまさにまさにその瞬間に、「私の死」を経験する〈私〉はこの経験からこぼれ落ちてしまうからだ。……死に直面する瞬間、死を経験するのは〈私〉ではなく、むしろ〈私〉の固有性を欠いた「ひと」である。「死ぬこと」は〈私〉をもっとも本来的な〈私〉自身へと的確に差し宛てるのではなく、逆に、〈私〉が消失した無名の経験へと委ねるのである。(p19-p20)