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 ブランショ.M『文学空間』(3)

ブランショ

「文学と本源的体験」より。

ここに於て作品のもうひとつの要請が明確になるのが見られる。作品とは一個の休息の持つ減殺された統一性ではない。作品とは、少くとも作品が作品である限り、決して和解することのない、鎮められることのない、相反する諸運動の内奥でありまたその暴力である。対立者同士の矛盾が――和解し得ぬ対立者同士の、ただしそれらを対立せしめる争論の中でしか十全たり得ない対立者同士の矛盾が――そこで面と向う底のこの内奥、このような引き裂かれた内奥こそが作品なのだ、もし作品が、しかもなお身を隠すものの、閉ざされてありつづけるものの「開花」であるならば、すなわち、暗黒のものの上に輝く光、眼に見えるものとなったこの暗黒によって輝く光、開花の最初の光明のうちに暗黒のものを奪い去り、盗み去る光、ただしまた絶対的に暗黒のものの中に、自分を明示しようとするものの中に、消滅する光であるのならば。「詩人とは前へ投げ出す一存在と、引戻す一存在との発生点である」と言う時に、ルネ・シャールが暗示しているのはまさにこの「反対物の熱狂的同盟」なのだ。内容と形式、言葉と観念という二元性は、作品が、それを一個の作品たらしめる暴力の中で、ひとつの本質的不和――この不和の核心に於てのみ、闘いつつあるものはみずからを捕捉し、みずからに名称を与えることができる――の一回きりの事件として達成するところのものを、世界より発して、世界の言葉より発して理解するための、最も慣例的な企てを構成するものである。(pp318)