バシュラール.G『瞬間の直観』

瞬間の直観

瞬間の直観

他のあらゆる形而上学的経験が、長々とした前置きによって始まるのに反して、ポエジーは、前口上、原則、方法、証明などをすべて拒否する。ポエジーはまた懐疑を拒否する。せいぜいそれは、沈黙の前奏曲を要求するくらいである。うつろな言葉を攻撃しながらポエジーは、まず思考の、あるいはつぶやきの連続を読者の心に残すような散文や歌曲を沈黙させてしまう。ついで空虚なひびきのあとに、それは自分の瞬間をつくりだす。つなぎ合わされた時間による単純な連続を詩人が断ち切るのは、ひとつの複合的瞬間をつくりあげんがためであり、またこの瞬間の上に多くの同時性を結びつけんがためである。(p125-p126)