ハラウェイ.D『猿と女とサイボーグ』(6)

個人は、科学的管理の対象でなければならず、これは、協調の科学にあっては必須の支配構造であったのだが、もう一つヤーキーズの議論にとって本質的なものに、自己表現というイデオロギーがあった。自己管理と社会管理の調和は、ひとえに資本主義の教義としてのパーソナリティにかかっている。このモデルでは、資本本能の充足――これ自体、科学を通じて理解されるものである――が、自己表現の核心となる。……ヤーキーズは、科学の対象としてのパーソナリティを論理的に押しつぶし、個人の精神的な価値に作り替えてしまった。「個々人のあらゆる本質的側面やつながりに関する適切な情報を利用可能とし、その個人の抜きんでた価値をはっきりわかるように明示的に見せることによって、人事研究は[機械類を発明するよりも]さらに重要かつ有益な革命もしくは改革を成し遂げることになるだろう」(Yerkes,1922,p.63)。市場での結婚の交換と産業の生産機械を合理的に解釈してみることによって、比較心理生物学は、資本主義家父長制の論理に従って自然と人間性を理論づけるライフサイエンスと人文科学の中で、所定の位置を占めるに至ったのだった。(p112-p113)