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 松浦寿輝『増補折口信夫論』(4)

極めつきの「もどき」を演じている言葉を耳元で囁かれるとき、つい人はふらふらと魅入られるように、それを再度、みずからの身体で、具体的にはその「口」で、つまりは従順な「口移し」で、今ひとたび「もどき」直してみたいと欲望せずにはいられない。こうして折口教の信者たちは、いつまでもきりもなく折口を「もどき」つづけることになる。確かなことは、言葉に対する折口の関係が、柳田國男南方熊楠におけるそれとはまったく異質なものとしてあって、折口の弟子たちが師との間に結んだ関係の特異性が、まさしくこのことに由来しているという点である。折口のテクストの総体は、単なる国文学史や芸能史の叙述でも民俗学の学説の提示でもなく、それを越えたところで、言葉の「発生」とは絶えざる「もどき」の反復にほかならぬとのみ執拗に呟きつづける倒錯的な記号の実践として、息苦しい布のようにわれわれの「口」に覆い被さってくるのだ。(pp178-pp179)