木村純二『折口信夫―いきどほる心』

折口信夫――いきどほる心 (再発見 日本の哲学)

折口信夫――いきどほる心 (再発見 日本の哲学)

宣長は、死という個々の人間が抱える問題に関して、ひとは誰も死後に「甚だきたなく悪しき国」である黄泉の国に行かざるを得ず、泣き悲しむよりほかはない。と説いている。が、その一方で、一国のことに関しては、北条や足利ら「逆臣」が現れつつも、最後には「悪はつひに善に勝つことあたはざる」ような「神代の道理」なのだ。と断じた。そのように政治的な事柄に対して、より安易な価値判断ができてしまうのは、やはり宣長そのひとの資質が、政治を論ずることよりは、個々の内にわだかまる情念と向き合うことの方に、より適うものであったからであるように思われてならない。・・・・・・折口の場合は、そうではない。まず広くは、明治二十年(一八八七)から昭和二十八年(一九五三)にかけての生涯が、日清戦争から太平洋戦争にいたる戦乱の近代史を、さながら内に含むものであった。しかし、より肝要なのは、宣長の時代とは違って、神をめぐる言説そのものが道徳に取り込まれてしまっていることであろう。折口が情念のありのままに生きる理想の神と見たオオクニヌシすらも、「臣民の本質」を体現した神と説かれる時代である。神の名の下に、悲しみをどこまでも悲しむことが保ち得た宣長のような心のゆとりは、折口には許されていない。近代的な語法を持ち込むもの言いになるが、内面の自由を持ち得たのは、近代に生きた折口ではなく、近世に生きた宣長の方であったのではないか。しかも、政治の上に「橿原の宮」を実現しようとする試みは、すでに敗れ去っているのである。(pp67-pp68)