『釋迢空ノート』(2)

茂吉の迢空の歌への不満は、「あれほどに記紀萬葉をはじめ、律文要素のある書物に没頭してゐた」にもかかわらず、「其影響が単に、知識或は形式上」の遊戯として表れてゐても、内的に具体化されてゐない」と評した迢空の橘守部論の一節がそのままあてはまるのだというわけで、万葉集への造詣の深さに於ては、茂吉はじめ『アララギ』のひとたちが一目も二目もおく迢空そのひとの歌が「萬葉調」でないのはおかしいじゃないかといっているのである。茂吉にあるのは万葉集の遒勁流動のリズム」(「萬葉調」)を自分たちがこの時代に再創造できるとの確信であり、「短歌」という形式への絶対的な信頼である。(pp63-pp64)