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 遠藤潤『平田国学と近世社会』

平田国学と近世社会

平田国学と近世社会


第三章「国学における「神典」解釈と死後の世界」より。

本居宣長は『古事記』という特定のテキストを選んで、それに「神代の史実」を正確に伝えているという特権を与えた。平田篤胤は「神代の史実」のために複数のテキストを編みあわせ、そこに死後の世界のあり方も構想した。また、吉見幸和はテキスト内部に合理的部分とそうでない部分が混在すると考えた。他方、国学のなかにはこの乖離や距離感の原因を言語の性格そのもの、その屈折性に求めてゆく論考もあらわれた。篤胤のように言語は現実を言語性格そのもの、その屈折性に求めてゆく論考もあらわれた。篤胤のように言語は現実を比較的忠実に反映すると考える者の目には、書記における顕幽は実体的に理解された世界のなかで可視的世界と不可視的世界の区分の問題として映ったが、言語の写像的なあり方を疑うもの者にとって、顕幽は言語の多様なあり方――ある事柄を直接的に示すばかりでなく、屈折して表現したり、ときには語らないことが何かを意味したりする――に根源的にむすびついたものとして把握された。「神典」の事実性をめぐって、実体的な世界像の再構築と言語論の深化にむすびついたものとして把握された。「神典」の事実性をめぐって、実体的な別個の方向性が国学のなかにあらわれ、それが死後世界の理解とふかくかかわっていたのである。(pp93)