中井久夫『西欧精神医学背景史』(1)

西欧精神医学背景史 (みすずライブラリー)

西欧精神医学背景史 (みすずライブラリー)

ルネサンスは一面においてはアラビアやユダヤを媒介としてきた古代文化に直接接続しようとする文芸復興の試みであるが、他面、魔術的、占星術的、錬金術的なものと結合した秘教的ネオプラトニズムの復興でもあった。ネオプラトニズムを一言にしていえば、世界を統合的な一全体として把握しようとする試みで、しかも実例の収集枚挙や論理的分析によるのではなく、直観と類比と照応とを手掛かりとして、小宇宙から大宇宙を、大宇宙から小宇宙を知ろうとする試みである。たとえば人体は大宇宙の照応物としての小宇宙であり、人体を知ることによって宇宙を知ることができるとする。逆に、星の運行によって小宇宙すなわち人間の運命が予知可能であるとするものである。今日ほとんど忘れられていることでもあるけれども、ルネサンスにおいてエジプトの伝説的占星術者ヘルメス・トリスメギストスは、プラトーンと並ぶ権威をもっていたのであり、かのロレンツォ・ディ・メディチが御用学者フィチーノに命じて古代古典を翻訳させたとき、彼はプラトーンよりもこの占星術者の名と結びついた書物を優先させた。(p26-p27)

 中井久夫『西欧精神医学背景史』(2)

魔女狩りを許容した第三のものは、ルネサンス宮廷層から一応離れたものであった。それは知識人の沈黙、あるいは加端であり、積極的支持すらあった。その根拠として、彼らが伝統的な文化から抜け切っていなかったというような説明はあまり有効なものではない。むしろここでヨーロッパの中世において次のような、魔女狩りに先駆し、それと連続的な現象があることを指摘する必要があるだろう。


すなわち、一二世紀からのおよそ四世紀間、ヨーロッパがヨーロッパを成立させたその文化的恩人たちを次々に消滅させていったという事実である。第一にユダヤ人である。ローマの末期から一〇世紀にかけて、回教文化をヨーロッパにもたらしたものはユダヤ人である。当時のヨーロッパの知的レベルからみて、アラビア語からラテン語への正確な翻訳はヨーロッパ人の能力を越えたものであった。ユダヤ人翻訳者の存在は不可欠なものであった。ユダヤ人翻訳者の存在は不可欠なものであった。そしてユダヤ人たちは翻訳だけでなく、おそらくその時代において文盲率が最も少なく(幼児期からタルムードによる)きわめて洗練された言語的・学問的訓練を行っていた民族は、ユダヤ人のみであったろう。このユダヤ人がまさにその使命を果し終えたときに、のちにいうポグロム、つまりユダヤ人虐殺が全ヨーロッパ的に開始されるのである。


次はアラビア人である。アラビア人の文化はしばしば単なる翻訳者あるいは伝達者の評価しか受けていない。しかしそれは事実に反する。アリストテレス哲学、あるいはガレノスの医学が、アヴィケンナやアヴェロエスによって継承、発展されたというだけではない。H・シッパーゲスの証明するごとく、ヨーロッパ中世の医学テキストは挿絵に至るまで、アラビア医学書の剽窃に近いものである。一方、啓示の真理と現世の真理との対立と緊張の関係は、アラビアの哲学者によってはじめて鋭く意識されたのであり、この問題設定は単にスコラ哲学に対するその影響だけでなく、まさにこれこそヨーロッパの近代化の一つの大きな思想的契機となっているのであるが、このアラビア人たちがその文化的役割を果たしたのちに十字軍と異端審問の対象となったのである。このような、いわば“育ての親殺し”の連続線上にあるものとして魔女狩りを理解することができる。(p33-p34)

 中井久夫『精神科医がものを書くとき』

精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)

精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)

文献はさておき、徴候というのはこういうものです。たとえば、ここに足跡がある。ああ、足跡だなといえば、それきりのことです。しかし、狩猟民族には、この同じ足跡から、どういう動物が何日前にここを通ったか、その動物の性別や大きさ、妊娠していたか、空腹だったか思えていたか、何しにどこへ行って今は多分どこにいるかまでを言い当てるような人がいます。この場合、足跡は、それらの徴候です。現代人でも、相手の表情はほとんど徴候の塊ですね。それから、山で路に迷った時には、些細な差異が徴候に見えてきますよ。・・・・・・些細な手がかりから重大な結論を下すということ。一般に未来、未知、不確定なものを推量し先取りしようとすること――。人生にはデータが十分与えられて、過去のデータに照らし合わせて悠々と結論を下せる場合ばかりではありませんね。あるいは、習慣的に、昨日どおりに処理して行けばよいというばかりでは――。徴候という言葉が医学の用語であるように、医者の営みは主に徴候を読むという仕事です。(p128-p129)

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(4)

ヨーロッパの近代はやり直し、出直しをしなければならなかった者は魔女として焼かれた人たちであった――と。もっとも、近代数学、物理学は「シンタクマティズム」に発するものである。メイスンによれば近代科学は先行する二つの伝統すなわち職人の伝統と学者の伝統との結合によって生まれたという。(p384-p385)

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(5)

いわゆる「妖精との出会い」は農民世界の縁辺で起るのが常道である。それは森の端、里山、崖の傍らの泉、森を通り抜ける道で起こる。妖精はかつて繁茂していた森の名残りである老樹を棲み家としていたりする。高地に生える薬は種類によっては家に持って入ってはならない。災厄を持ち込むことになるからである。この種の迷信が平地民と山地民との緩衝帯に生きる場をみいだしている。この曖昧地帯からいわゆる「老婆の文化」が生まれた。この文化には薬草を使っての治療の達人がおり、また身の上相談の達人がいた。(p377)

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(7)

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(p53)

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(6)

私の使っている意味が、少し独特であるかもしれない可能性がある。……医学の意味における徴候、すなわち、ある疾患の存在を推定させるサインをも含むであろうけれど、もっと曖昧なものである。すなわち、何かを予告しているようでありながら、それが何であるかがまったく伏せられていてもよいのである。むしろ、そういう意味の「徴候」が、主な意味である。……signを「徴候」「記号」のいずれに訳するかに困ったことがある。「記号」とは、「記号するもの」と「記号されるもの」とが一組になったものであって、原則的には両者の間に明確な対応関係がある。これに対して「徴候」は、何か全貌がわからないが無視しえない重大な何かを暗示する。ある時には、現前世界自体がほとんど徴候で埋めつくされ、あるいは世界自体が徴候化する。(p25- p26)

中井久夫『治療文化論』(3)

エランベルジェ(エレンベルガー)は一八世紀に消滅したヨーロッパの精神病として「郷愁病」、「恋愛病」をあげている。……しかし「郷愁病」と「恋愛病」は、病いとしての資格を西欧において失ってしまった。蛇足を付け加えると、今日の西欧精神医学における用法では、恋愛妄想ということばは「愛されている」という観念に関するもので、「愛している」という観念は精神医学の関与しないものである。「愛する」という行為は、もっとも妄想との境界が不鮮明である。あるいはないかもしれず、この辺はまじめに考えてもはかない。(p29-p30)

中井久夫『治療文化論』(4)

中山ミキの変貌にあずかったものは何だろうか。たしかに時代的危機によって触発されたはずである。個人的危機の一般的=宗教的平面への転化でもある。年齢的転回点でもあるわけだが、ただそれだけだろうか。ミキの生れた場が、奈良盆地の宇宙論的位置において、周縁性という深い意味を持っていたのではないだろうか。(p47)

 中井久夫『治療文化論』(5)

近世の大和平野は、民話、民謡、伝説、祝祭に乏しい。この地に旅した者は土産にも困り、地方独特の料理すらないことに落胆する。この場合古き神々は、浄土真宗地帯のごとく力ずくで追放されたのではなかろう。ここは、神々が見棄てた地、いわばエリオットの「荒地」である。(p54)

 中井久夫『治療文化論』(8)

家庭治療文化がきわめて重要な位置を占める場合の例は、伝統的中国であろう。中国においては、医学は、知識人の学ぶ必須の教養であった……家族は、その後、救助を外部に求めはじめるが、第一に呼ばれるのは伝統的中医、ついで内科医、最後に精神科であって、西洋医学的にはまずまちがいなく早期治療の機を失するという。(p131)

 中井久夫『治療文化論』(9)

もっとも、近代都市精神医学ということば、ランボの「ナイジェリアにおいても都市の分裂病は変らず、ブッシュ(叢林地帯)の分裂病は違う」ということばに支持されるとはいえ、不正確である。……医学生に医学部の他分科と同じ関係で教授し得る精神医学というほどの意味がある。「スコットランドのエディンバラ大学で教育を受け、イングランドのモーズレー病院で研究と専門医としての研修を行った人」が、おそらくもっとも純粋に保持しているような精神医学である。(p160-p161)

 中井久夫『治療文化論』(6)

現代の精神医療では熟知者を治療することは禁忌である。……小規模な熟知者のみより成る社会の歴史が人類史の大部分を占めているのであり今日でも人類の相当以上の対人関係が熟知者中心である。(p72)

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(1)

徴候・記憶・外傷

徴候・記憶・外傷

面接は、複雑な連立方程式を解く過程の連続である。ただ変数に比べて式の数が少ないのが普通である。こういう場合、電算機以前の天文学者は、多くの変数に負の無限大から正の無限大までを代入して解いていった。これを「腕力で解く」というが、私もまさにこれと同じことをしている。……質問を行い、仮説を立てる際に、過去の症例を呼び出すのだが、浮かび上がってくるのは、どことなく似た例である。どこが似ているかを吟味するのが、次の順序である。初対面の人に会った時に、既知の誰に似ているかを思いつくのが先で、どこが似ているかを考えるのが後であるのと同じである。(p268)

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(2)

私は戦争直前の重圧感を「マルス感覚」と呼んだことがある。湾岸戦争直前、私はテレビを見ていて、太平洋戦争直前に似た「マルス感覚」を起こしている自分に驚いた。「ああ、あの時の感じだ」と私は思った。フランスの哲学者ベルクソンは第一次大戦の知らせを聞いて、「部屋の中に目にみえない重苦しいものが入ってきていすわった」と感じたそうである。これをも「マルス感覚」とすれば先の「事前的マルス感覚」に対して「事後的マルス感覚」となろうか。私は二〇〇一年九月十一日以後、アフガニスタン戦争の期間を通じて、「事後的マルス感覚」をしたたかに味わった。(p308-p309)

 中井久夫『治療文化論』(7)

病いの有徴性は、病いが「宣告される病い」から「診断し治療される病い」に移行するにつれて消失に向かう。歯痛は耐え難いものの一つであり、歯科治療は大きな救済をもたらすが、今日のムシ歯は一般に、何の有徴性をも個体に与えない。逆に、有徴性を付与される「宣告される病」は精神病に限らない。かつてのハンセン氏病、あるいは結核はいちじるしい有徴性を帯びていた。(p120-p121)

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(3)

「行基図」という昔よく行われた地図は、讃岐の国とか備前の国とかを一つの丸にして、それを日本列島らしき形に並べています。ふつうの人の身体像はそのようなものではないでしょうか。……これに対して、生体を一つのロジックで組み立てた場合が生理学的な身体となります。……ところが、生理学や生化学は、概念が先行しています。概念なしにぽかっと事実があるということはない。いいかえれば、個別的事実は絶えず体系に組み込まれて、はじめて事実としての権利を獲得する。そういう意味で「論理的身体」です。(p333- p334)

中井久夫『治療文化論』(1)

治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)

治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)

帝政ロシアがもっとも早く少数民族研究に着手したことを指摘しておきたい。それが少数民族政策に利用されたことはいうまでもないが、現代が異民族の地を征服する時代から異民族を内に抱え込む時代に変化しているとすれば、近代においてすでにそうであった帝政ロシアあるいはオーストリア=ハンガリーの文化が再び評価されるのは当然であって、わが国が単一民族国家という、まったくの神話のかげに隠れて、多人数の国内少数民族が抱える精神医学的問題にほとんどふれるところがないのは、やはりなげかわしいことである。一例をあげれば、在日韓国(朝鮮)人の治療体験を、明確な自覚的意識のもとに書いたわが国精神医学者の論文は、私の知る限りただの一つに過ぎない。(p15-p16)

中井久夫『治療文化論』(2)

文化精神医学の論文は、医学論文ひろくは科学論文としての作法したがって執筆される。……研究者の最初の五年のトレーニングの中にこの作法を身につけ、このタガをみずからにはめるためにカリキュラムがあり、相当の時間と精力をついやして遂行される。これが身についてはじめて研究者という自己規定が自他に承認されるからである。(p17-p18)