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 ドゥルーズ.G『フーコー』(2)

確かに私たちは、語や文や命題から出発することを強いられる。ただ私たちは、提起された問いにしたがって変化する限定されたコーパスにこれらを組織する。これはすでに「分布主義」の学派、ブルームフィールドやハリスの要求したことであった。しかし、フー…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(1)

フーコー (河出文庫)作者: ジルドゥルーズ,Gilles Deleuze,宇野邦一出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2007/08メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 14回この商品を含むブログ (28件) を見る「新しい古文書学者」(『知の考古学』)より引用 『言葉と物』…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(4)

あたかもマルクス以後ついに新しい何かが出現したかのようだ。国家をめぐる共犯関係が、ついに断ち切られたかのようだ。フーコーは、ある種の概念を再考しなくてはならない、と言うのにとどまってはいない。彼はそれを言うことさえしないで、ただそれを行な…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(6)

「褶曲あるいは思考の内」より。 しかし、様々な条件が、条件づけられるもの以上に普遍的なものでも、定常的なものでもないとしても、やはりフーコーが関心を抱くのは条件についてなのである。だから彼はいう。歴史的な探究をするのであって、歴史家の仕事を…

 ドゥルーズ.G『フーコー』(5)

「地層、あるいは歴史的形成物」より。 私たちは、どのようにしてフーコーが、言表についての実に独創的な概念のうちに、表現の形態を発見したのかをみた。言表はシニフィアンのシステムよりは、はるかに音楽に近い斜線をしるしながら、様々な単位と交錯する…

ドゥルーズ.G『フーコー』(3)

新しい地図作成者(『監獄の誕生』)より引用 局在性の公準。つまり権力は国家権力であり、権力そのものは国家装置のなかに局在していると考えられている。そのため「私的な」権力さえ、見掛け上分散しているだけで、やはり特殊な国家装置にすぎないとされる…

 ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(3)

潜在的なものというドゥルーズ自身による概念構想への多様な影響の全てのうち、純粋過去(すなわち純粋記憶におけるその連続的保存)というベルクソンの観念はひとえに最も重要な意味を持つ……過去とはわれわれが後悔したり取り逃したりする何かではない。時…

 ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(2)

今や一義性はいかなる意味においても画一性を含意しない。逆に一義性は、一次的で無制約的な差異化のための基礎にして媒体として、肯定される。何かが十全に存在するには、それが一つの過程に巻き込まれ、したがって消耗されることが必要であり、この過程に…

 ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(1)

ドゥルーズと創造の哲学 この世界を抜け出て作者: ピーター・ホルワード,松本潤一郎出版社/メーカー: 青土社発売日: 2010/02/26メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 18回この商品を含むブログ (9件) を見るOut of This World: Deleuze And the Philosophy o…

 ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(6)

資本主義のアナーキー的商品化と解毒作用、すなわちあらゆる価値の抽象化に直面したオイディプスは、御し難い政治的または「公的」脱現働化の危険を、ある甚だしく御しやすい、現働的またはモル的なものの「私的」最安定化に移そうとする。オイディプスは搾…

 ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(5)

『アンチ・オイディプス』では、国家は、国家が規範化と調整を幇助する社会的行為の領域を監視し続ける一種の集合的超自我として描かれる。国家に管理された主体は、今や労働の疎外に、すなわち、つねにあるべきところにない[という地位を与えられた]去勢さ…

 ホルワード.P『ドゥルーズと創造の哲学』(4)

結局のところ、現働的な被造物の産出は、創造が存在するということの、一つの原理的な相である。被造物はそれ自体、その偽造ないし劣化というよりはむしろ、超克されるべきより劣った現実であるよりはむしろ、創造の一つの相である。内包[強度]的差異は外延…