2015-03-29から1日間の記事一覧

ぺルニオーラ.M『無機的なもののセックス・アピール』(1)

無機的なもののセックス・アピール (イタリア現代思想2) 作者: マリオ・ペルニオーラ,岡田温司,鯖江秀樹,蘆田裕史 出版社/メーカー: 平凡社 発売日: 2012/09/01 メディア: 単行本 購入: 2人 クリック: 17回 この商品を含むブログ (8件) を見る Il Sex Appeal…

ぺルニオーラ.M『無機的なもののセックス・アピール』(2)

つまり人間はみずからを、もはや神としてでも動物としてでもなく、感覚するモノとして感覚するのである。……こうした感覚還元論においてわれわえれが理解するのは、モノの即自的存在でも、その本質でもなく、さらには、人間の存在なしにモノが存在するという…

ぺルニオーラ.M『無機的なもののセックス・アピール』(3)

思惟による感覚の近代的横領の歴史は、まさしくデカルトとともに始まった。彼にとって無媒介的かつ明瞭に感覚するモノとは、身体ではなく知性である。さらにデカルトによると、自分の身体、すなわち自分に所属する延長したモノからは、いかなる鮮明で明晰な…

ぺルニオーラ.M『無機的なもののセックス・アピール』(4)

中性的セクシュアリティにおいて、哲学過剰と性的過剰とは、互いに互いから養分を汲み上げている。哲学的冒険は、言葉の語源学的意味において、少なくとも現実の(realeの語源はres,すなわちモノである)次元に立ち入る可能性がなければ、味気なくかすんだ…

ペルニオーラ.M『無機的なもののセックス・アピール』(5)

感覚の帝国、すなわちつねに新しい性的感覚の際限なき探求が示しているのは、セクシュアリティには独力で自己の過剰に到達する能力が欠けているということである。……それはあたかも、みずからの純粋さへと投げ出され、他の何ものによっても支えられることの…

ペルニオーラ.M『無機的なもののセックス・アピール』(6)

モノ自体をあくまでも認識論の観点から考えるかぎり、それは定義上、人間の経験とは無縁のままにとどまる限界ー概念である。一方、達しえないほどの距離においてモノがあり、他方で、主体、自意識、統合的かつ関係的行為としての人間がある。……すなわちカン…