2011-01-25から1日間の記事一覧

中井久夫『治療文化論』(2)

文化精神医学の論文は、医学論文ひろくは科学論文としての作法したがって執筆される。……研究者の最初の五年のトレーニングの中にこの作法を身につけ、このタガをみずからにはめるためにカリキュラムがあり、相当の時間と精力をついやして遂行される。これが…

中井久夫『治療文化論』(1)

治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)作者: 中井久夫出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2001/05/16メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 41回この商品を含むブログ (36件) を見る 帝政ロシアがもっとも早く少数民族研究に着手したことを指摘して…

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(3)

「行基図」という昔よく行われた地図は、讃岐の国とか備前の国とかを一つの丸にして、それを日本列島らしき形に並べています。ふつうの人の身体像はそのようなものではないでしょうか。……これに対して、生体を一つのロジックで組み立てた場合が生理学的な身…

 中井久夫『治療文化論』(7)

病いの有徴性は、病いが「宣告される病い」から「診断し治療される病い」に移行するにつれて消失に向かう。歯痛は耐え難いものの一つであり、歯科治療は大きな救済をもたらすが、今日のムシ歯は一般に、何の有徴性をも個体に与えない。逆に、有徴性を付与さ…

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(2)

私は戦争直前の重圧感を「マルス感覚」と呼んだことがある。湾岸戦争直前、私はテレビを見ていて、太平洋戦争直前に似た「マルス感覚」を起こしている自分に驚いた。「ああ、あの時の感じだ」と私は思った。フランスの哲学者ベルクソンは第一次大戦の知らせ…

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(1)

徴候・記憶・外傷作者: 中井久夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2004/04/02メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 21回この商品を含むブログ (43件) を見る 面接は、複雑な連立方程式を解く過程の連続である。ただ変数に比べて式の数が少ないのが普通で…

 中井久夫『治療文化論』(6)

現代の精神医療では熟知者を治療することは禁忌である。……小規模な熟知者のみより成る社会の歴史が人類史の大部分を占めているのであり、今日でも、人類の相当以上の対人関係が熟知者中心である。(p72)

 中井久夫『治療文化論』(9)

もっとも、近代都市精神医学ということば、ランボの「ナイジェリアにおいても都市の分裂病は変らず、ブッシュ(叢林地帯)の分裂病は違う」ということばに支持されるとはいえ、不正確である。……医学生に医学部の他分科と同じ関係で教授し得る精神医学というほ…

 中井久夫『治療文化論』(8)

家庭治療文化がきわめて重要な位置を占める場合の例は、伝統的中国であろう。中国においては、医学は、知識人の学ぶ必須の教養であった……家族は、その後、救助を外部に求めはじめるが、第一に呼ばれるのは伝統的中医、ついで内科医、最後に精神科であって、…

 中井久夫『治療文化論』(5)

近世の大和平野は、民話、民謡、伝説、祝祭に乏しい。この地に旅した者は土産にも困り、地方独特の料理すらないことに落胆する。この場合古き神々は、浄土真宗地帯のごとく力ずくで追放されたのではなかろう。ここは、神々が見棄てた地、いわばエリオットの…

中井久夫『治療文化論』(4)

中山ミキの変貌にあずかったものは何だろうか。たしかに時代的危機によって触発されたはずである。個人的危機の一般的=宗教的平面への転化でもある。年齢的転回点でもあるわけだが、ただそれだけだろうか。ミキの生れた場が、奈良盆地の宇宙論的位置において…

中井久夫『治療文化論』(3)

エランベルジェ(エレンベルガー)は一八世紀に消滅したヨーロッパの精神病として「郷愁病」、「恋愛病」をあげている。……しかし「郷愁病」と「恋愛病」は、病いとしての資格を西欧において失ってしまった。蛇足を付け加えると、今日の西欧精神医学における用…

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(6)

私の使っている意味が、少し独特であるかもしれない可能性がある。……医学の意味における徴候、すなわち、ある疾患の存在を推定させるサインをも含むであろうけれど、もっと曖昧なものである。すなわち、何かを予告しているようでありながら、それが何である…

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(7)

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。…

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(5)

いわゆる「妖精との出会い」は農民世界の縁辺で起るのが常道である。それは森の端、里山、崖の傍らの泉、森を通り抜ける道で起こる。妖精はかつて繁茂していた森の名残りである老樹を棲み家としていたりする。高地に生える薬は種類によっては家に持って入っ…

 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(4)

ヨーロッパの近代はやり直し、出直しをしなければならなかった者は魔女として焼かれた人たちであった――と。もっとも、近代数学、物理学は「シンタクマティズム」に発するものである。メイスンによれば近代科学は先行する二つの伝統すなわち職人の伝統と学者…

 中井久夫『精神科医がものを書くとき』

精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)作者: 中井久夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2009/04/08メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 46回この商品を含むブログ (33件) を見る 文献はさておき、徴候というのはこういうものです。たとえば、ここに足跡…

 中井久夫『西欧精神医学背景史』(2)

魔女狩りを許容した第三のものは、ルネサンス宮廷層から一応離れたものであった。それは知識人の沈黙、あるいは加端であり、積極的支持すらあった。その根拠として、彼らが伝統的な文化から抜け切っていなかったというような説明はあまり有効なものではない…

 中井久夫『西欧精神医学背景史』(1)

西欧精神医学背景史 (みすずライブラリー)作者: 中井久夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1999/12/10メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 18回この商品を含むブログ (18件) を見る ルネサンスは一面においてはアラビアやユダヤを媒介としてきた古代文化…